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就航50周年のJAL「東京~NY線」、困難を極めた日米交渉のプロセスとは

乗りものニュース 8月31日(水)18時49分配信

世界がキャリア育成に邁進、そのなかでJALは…

 JAL(日本航空)の東京~ニューヨーク線が2016年11月12日(土)、就航50周年を迎えます。現在は1日2便、週14往復が運航されている同路線ですが、開設までの歴史をひも解くと、一筋縄では行かなかった日米交渉のプロセスが浮かび上がってきます。

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 1954(昭和29)年にDC-6B型旅客機を使った初の国際線(東京~サンフランシスコ線)を開設したJALですが、その後も国際線を拡大していきます。『日本航空20年史』によると、この当時の世界各国は「ナショナルフラッグキャリア」育成に邁進(まいしん)しており、自国の航空会社が保有する航空機や路線数を競うことで国威を世界に示していました。

 そのなかでJALは日本~アジア~ヨーロッパ~北米~日本を結ぶ「世界一周路線」開設を経営目標のひとつとして構想します。

 世界一周路線を開設するには、当時の航続距離を考えるとアメリカ東海岸に乗り入れることが必須でした。しかし1952(昭和27)年に締結された日米航空協定は、日本の航空会社がアメリカ東海岸に乗り入れる権利を認めていなかったのです。

 これを打開すべく岸 信介首相(当時)が1960(昭和35)年1月、アイゼンハワー米大統領との会談に臨みます。そこにおいて岸氏はまず日航機のニューヨーク乗り入れを打診

交渉は2度決裂、アメリカが示した交換条件とは

 日米の交渉は1961(昭和36)年に始まりますが、アメリカ側が「現行の日米航空協定は両国に対して平等な内容である」と主張して、ニューヨーク乗り入れに対して厳しい交換条件を示したこと、また日本からニューヨークを経由して第三国へ向かう路線の開設を認めなかったため、2度にわたって決裂してしまいます。

 しかし交渉決裂を機に国民の関心も高まり、1965(昭和40)年に衆議院本会議において「ニューヨーク経由世界一周路線をもつことは国民の長い間の熱望であり、日米航空協定改定にあたっては協定の廃棄も辞せずという決意であたるよう」政府に要望する決議が全会一致で採択され、同年8月に3回目の交渉が開始されます。

 3回目の交渉で日本側に提示された交換条件は「アメリカの航空会社が東京、大阪に乗り入れ、そこから第三国に向かう路線も無制限に開設できる権利を認めよ」という厳しいものでしたが、日本側はこれを受け入れ、その代わりにアメリカ側もJAL機のニューヨーク乗り入れと、ニューヨークからヨーロッパへ向かう路線の開設を認めました。

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最終更新:9月1日(木)15時53分

乗りものニュース