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社説[ペルー移住110周年]先人を誇り絆強めたい

沖縄タイムス 8月31日(水)7時20分配信

 沖縄から36人が初めてペルーへ移住してから110周年を迎えた。首都リマのペルー沖縄県人会館で翁長雄志知事らが出席して記念式典が盛大に開かれた。

 県系人は政治や経済、教育などさまざまな分野で人材を輩出している。先人たちの艱難(かんなん)辛苦を思えば、ペルー社会で県系人が活躍しているのはふるさとの誇りである。

 最初の36人は、日本からの第3回契約移民774人の中に含まれていた。1906(明治39)年10月に横浜港を出発し、11月にペルーに到着した。沖縄からは17年間で3694人を送り出した。

 ペルー移民の歴史はハワイに次いで古い。県系人は今では7万人余りに増え、日系人の7割と中核を占めている。県系人の数ではブラジル、米国に次いで3番目に多い。

 当初はサトウキビや綿花のプランテーションの契約移民として、気候風土や言語、生活習慣が異なる地で、低賃金で重労働を強いられた。

 県史や浦添市移民史などによると、当時のペルーは封建的な大地主制度で、独立して農業を営むことができなかった。このため、都市部周辺へ移動するようになり、雑貨店や飲食店、理髪店などを営む人が増えたという。

 40(昭和15)年には日本人移民が都市部に集中したことに対し、地元ペルー人の反感を買い、排日暴動が発生した。財産を破壊された日系人620家族のうち80%の500家族が沖縄の人たちだったというデータもある。

 苦難は続く。翌41年には太平洋戦争が勃発。ペルー政府は日本と国交を断絶、移民は財産を没収された。

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 沖縄戦で灰燼(かいじん)に帰したふるさとの復興の手助けをしようと、布哇(ハワイ)連合沖縄救済会が寄付金を募り、繁殖用の豚550頭を沖縄に送ったことは有名だ。

 ペルーでも秘露(ペルー)沖縄救援連盟会が結成され、救援活動に取り組んだ。北米のララ(アジア救済連盟)を通じて医薬品や衣料品、食料品など多額の救援物資を送っている。

 課題もある。若い世代は日本語が話せない、県人会への参加が少なく会員の高齢化が進む、などである。

 一方で県人会活動に熱心な若者の姿もある。その多くは県や市町村が実施している海外子弟研修制度の経験者らである。南米4カ国すべてに経験者のOB会があり、若い世代と高齢者世代をつなぎ、次代の県人会を担う役割が期待されている。継続してほしい事業だ。

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 10月26日から世界の県系人を迎え、絆を強める「第6回世界のウチナーンチュ大会」が開かれる。5年に1度開かれ、キャッチフレーズは「ウチナーの 躍動・感動 世界へ響け!」。

 今回、大会最終日に当たる10月30日を「世界のウチナーンチュの日」に制定すると翁長知事が宣言する。

 海外に在住する県系人は約40万人に上る。県系人の裾野は5、6世に広がり、各地でしっかり根を下ろしている。ルーツを確認し、ウチナーネットワークを構築する大会にしたい。

最終更新:8月31日(水)7時20分

沖縄タイムス