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【リオ五輪】イタリア柔道躍進の陰に「日本人マエストロ」

東スポWeb 9月1日(木)10時6分配信

 メダルの陰に「日本人マエストロ」あり。先のリオデジャネイロ五輪柔道競技で下馬評を覆す大活躍を見せたのが、イタリア代表だ。男女合わせてたった6選手の派遣ながら、金メダル1個、銀メダル1個を獲得した。これを導いたのは2015年1月に総監督に就任し、強化本部長として手腕を振るった元全日本柔道連盟事務局長の村上清氏(66)だ。幾多の苦難を乗り越え“弱小軍団”の強化に成功した村上氏が、本紙にその秘話を語った。

 8月30日、東京・江東区の東京スポーツ新聞社を訪れた村上氏は興奮冷めやらぬ表情で振り返った。

「国際柔道連盟の(マリウス)ビゼール会長が会場で『キヨシ!』って泣いて喜んでくれた。こんなの初めてですよ。私もまさかのことが現実になったので涙が止まらなかったです」

 1年前は世界ランキング300位付近にいたファビオ・バシレ(21)がリオ五輪の男子66キロ級で金メダルを獲得。イタリア男子では実に16年ぶりの快挙だった。

 今や村上氏はイタリア国内で「奇跡を起こした男」として時の人となっている。だが、ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。1年8か月前、イタリアで初めて道場を訪れた村上氏はあっけに取られたという。「靴は脱ぎ放題。中に入ると、イスが無造作に置かれていた。壁には空手とか関係ない写真ばかり。こっから直さなきゃいかん、と思いましたね」。シドニー五輪で4個のメダルを獲得した強豪国の面影はない。世界選手権3大会連続メダルなしの弱体化したイタリア柔道は荒れていた。

 下駄箱を設置し、イスは即座に撤去。壁には“柔道の父”嘉納治五郎師範の写真を張り、イタリア国旗も掲げた。礼も立礼から座礼にした。しかし、さらに大変だったのはコーチ陣との衝突だった。当時のヘッドコーチはナポリ出身。その縁で代表選手は実力に関係なくナポリ出身が多かった。「なんでこんな弱いやつがナショナルチームにいるのか」。疑問に思った村上氏は昨年の世界選手権でナポリ出身選手3人を代表から外した。

 すると、ヘッドコーチが辞任。ツイッター上で強烈な批判が展開された。「えらい騒動になった。『60過ぎたじいさんに何ができる!』『高額な給料払って』と私の悪口ばかりでした」

 それでも、村上氏は辛抱してイタリア代表を立て直すことだけに集中した。ある日、選手に打ち込みの練習を課したが、終了時間を告げていないことに気づいた。すでに2時間が経過。あわてて道場に戻った村上氏の目に飛び込んできたのは、言われた通りに打ち込みを続ける選手の姿だった。「意識が変わった」と確信した。

 リオ五輪前はライバル国が集まる国際合宿には参加せず、研究されることを防いだ。その代わり、来日して軽量級に強い日体大で練習を重ねた。階級が上の選手との乱取りも指示した。イタリアコーチ陣が柔道漬けになることに不満を漏らすと「嫌ならテニスやってこい」と一喝。メダルを取ることだけを考えた戦略を徹底した。

 日本柔道はリオで3個の金メダルを獲得した。ただ、軽量級の成績ではイタリアが上回り、遠くにあって届かないと思われた背中が見えてきた。「はっきり言って、日本ばかり勝つと元気もなくなる。東京は5個メダルを取る。そのうち2個は金」と村上氏は笑み。すでに静岡・藤枝市と合宿地などで協力関係を結び、準備を進めている。

「イタリア人は芸術的な感覚がある。柔道も同じ。100人見たら1人か2人、特別なやつがいる。それをいかに見つけていくか。私はイタリアで柔道大国をつくりたい。復活させたい」

 イタリア語は片言を話せるようになったばかり。改革はまだ半ば。道場では誰からも「マエストロ(名指導者)」と呼ばれる村上氏は、新たな夢を膨らませ再びイタリアに出発する。

☆むらかみ・きよし 1950年7月8日生まれ。京都出身。洛南高から天理大を経て1973年にフランスに渡る。当初は道場で練習相手を務めていたものの、4年がかりで国家公務員の資格を取り、フランス代表のコーチに就任。20年間にわたり日本式の柔道を教え込み、複数の五輪金メダリストを輩出。92年バルセロナ五輪ではフランス女子監督として指揮を執った。帰国後はミキハウス柔道部コーチを5年間務め、全日本柔道連盟入り。2009年に事務局長に就任したが、女子柔道の暴力問題など一連の不祥事の責任を取り13年8月に退職した。15年1月からイタリア代表の総監督に。柔道8段。

最終更新:9月1日(木)10時27分

東スポWeb