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荒くれ者の集まり、EXTASY軍団…YOSHIKIが率いたEXTASY RECORDS設立秘話(2)

エキサイトミュージック 9月1日(木)18時45分配信

10月14日(金)、15日(土)、16日(日)の3日間に渡って、千葉・幕張メッセ 9-11ホールで10万人規模のヴィジュアル系音楽フェス『VISUAL JAPAN SUMMIT 2016 Powered by Rakuten』が開催される。内容は日替わりになることがすでに告知されているが、その中でも注目すべきは、イベントの中で催される『エクスタシー・サミット』。なんと、1992年の大阪城ホールと日本武道館を最後に開催されていなかったあの伝説のイベントが24年ぶりに復活するという。80年代半ばから取材していた側だから、身震いと共に当時の思い出の数々が蘇ってくるっての。

YOSHIKIの設立したEXTASY RECORDSに所属するバンド達によるイベントとして、1988年から始まったのが『エクスタシー・サミット』だった。そこでおさらいの2回目は、当時の所属バンド達“通称=EXTASY軍団”についてお届けしよう。後に東京ヤンキースを結成するAMI(現ブロット・ロッカーズ)、今でもLADIES ROOMで活動するGEORGEなどが初期の軍団メンバーとして名前も知られている。だが二人とも、ずっと昔からYOSHIKIと顔見知りだったわけではない。

AMIはXをつぶすためにライブに乗り込んだのが、YOSHIKIと知り合うきっかけだった。最初はケンカ腰だったものの、Xのライブが良くて、打ち上げまで参加して、ついにはYOSHIKIと意気投合。Xにスタッフが足りないことを打ち明けられ、ひと肌脱ごうってノリで、ローディとして手伝うように。

またGEORGEは、自分のバンドからドラマーが抜けてしまったため、YOSHIKIを引き抜くためにXのライブに乗り込んだのが最初。やはり打ち上げで話をするうちに、YOSHIKIの男っぷりに惚れて、そのままXのローディになっている。ついでにGEORGEは、その時期、共同生活していたUME(後に東京ヤンキース)もローディとして巻き込む。さらにPATAの後輩だったNORI(後に東京ヤンキース)もローディに。そしてローディではないものの、Xが東京で活動をスタートさせてから交流が始まったジャップ・コアやパンク・シーンの荒くれ者達も、仲間としてXのライブによく駆けつけることも。だから1回目のコラムに書いたような打ち上げが展開したわけです。

また、東京ヤンキースが活動を始めたとき、よく対バンしていたのが、まだLUNACYというバンド名時代だったLUNA SEA。LADIES ROOMのGEORGEも、LUNACYをよくかわいがっていた。Xのメンバーは時間を見つけてはいろいろなバンドをよく観に行っていたが、そこでHIDEが見つけてきたのがZI÷KILLだった。LUNACYもZI÷KILLも、「明日にはXを抜くから覚悟してください」と知り合って早々にYOSHIKIに生意気な口を叩いたのは有名な話だ。

そんなこんなで気づけば、XやYOSHIKIの周りには威勢のいいヤツらばかり。先輩や後輩という関係性でありながら、互いに仲間やミュージシャン友達として刺激しあうような間柄でもあった。ついでに書くと、打ち上げではどっちが酒が強いか一気が繰り広げられることもしょっちゅう。

「やっぱ気合いが入ってないとダメ。気合いが入ってるヤツには、何をやらかすか分からない未知の可能性がある」

これは当時、EXTASY RECORDSのボスである立花香流さんのお言葉である。立花さんとはYOSHIKIが名乗っていた別名のひとつであることを知っているファンも多いはず。EXTASY RECORDSに所属する条件はただひとつ、「気合い」というお話だ。つまり、YOSHIKIと同じ精神や意識を持った者達の集まりこそが、EXTASY軍団。日本武道館や大阪城ホールでも『エクスタシー・サミット』が大成功を収めたことや、所属していたバンド達が次々にメジャー展開したことからも分かるように、まさに無敵の勢いとパワーをEXTASY軍団は兼ね備えていた。
(文/長谷川幸信)

◆連載 第1回目:
◆連載 第2回目:


■■筆者プロフィール
フリーライター。インディーズ時代より、X(X JAPAN)のインタビュー記事を音楽雑誌ロッキンfで執筆。『エクスタシー・サミット』のオフィシャル的ムック『無敵 EXTASY BOOK』(1992年、立東社)、『無敵II EXTASY BOOK 1993』(1993年、立東社)でも執筆及び編集協力で参加した。ちなみに、TOSHI、YOSHIKI、PATAとは同じ歳。

最終更新:9月11日(日)0時30分

エキサイトミュージック

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。