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東北初!大刀や矢尻など大量「鉄製品」 喜多方・灰塚山古墳

福島民友新聞 9月1日(木)8時9分配信

 喜多方市慶徳町にある古墳時代中期(5世紀)に築造された大型の前方後円墳「灰塚山古墳」から、副葬品の大刀(たち)や矢尻など多量の鉄製品や青銅の鏡が出土していたことが31日、分かった。同時期の古墳から大量の鉄製品が出土するのは東北初という。会津を治めた豪族の墓と推定され、専門家は「東北の古代史を塗り替える貴重な発見」と話す。

 東北学院大(仙台市)文学部の辻秀人教授(65)らのチームが発掘調査した。灰塚山古墳は会津盆地西縁の丘陵上に位置し、全長約60メートル。古墳の後円部分から石棺と木棺2基が見つかった。石棺内部は未調査だが、石棺の蓋(ふた)の上には大刀や剣、矢尻などが載せられていた。木棺の木材は酸化し溶けていたが、内部には鉄製の大刀や青銅製の鏡、漆塗りの竪櫛(たてぐし)、ガラス製の腕飾りなどが納められていた。

 特筆すべきは石棺の形状だ。蓋の部分は板状の石組みが敷き詰められ、粘土で固めてある独特の技法。貴重な副葬品は棺内に納められているのが一般的だが、同古墳では、多くの鉄製品が石に上下が挟まれる形で見つかった。

 また、石組みの一部や石棺内部には朱塗りが施されていることも確認された。同大によると、古墳時代中期の東北の古墳で石棺が出土した例はあるが、このような石組みの形状は全国でも珍しいという。

 古墳時代中期の会津では、前期(3世紀後半~4世紀初め)と比べて古墳が造られた例が少なく、中央政権との関わりが薄い時代とみられていた。当時貴重だった鉄製品を持つ人物は政権と何らかの関係があったとされる。灰塚山古墳から豊富な鉄製品が出土したことにより、会津では中央政権との深い関係が続いていたことがうかがえ、これまでの通説が一変する。

 県立博物館(会津若松市)元主任学芸員の辻氏は「調査が進めば、謎だった会津の古墳時代中期の歴史が明らかになる。副葬品から当時の豪族の活動の様子も分かる」と見通しを語った。

福島民友新聞

最終更新:9月1日(木)8時9分

福島民友新聞