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<映画の交叉点>「BFG」公開。“ドラえもんがいないのび太”だったスピルバーグが見つけた生きる道

Stereo Sound ONLINE 9月1日(木)12時40分配信

“何かが欠けたひと”だからこそ作れる未来

 先輩のサモ・ハン・キンポー、後輩のユン・ピョウらと共に、親元を離れた7歳のジャッキー・チェンが入学した全寮制の“中国戯劇学院“。そこで京劇や曲芸、歌唱を猛烈なスパルタ特訓で学ぶ少年たちの日々を1960年代香港の風物と共に描いた「七小福」(1988年)は、いまも印象深い作品だ。

 世間と隔絶した世界。しかも京劇という衰退する芸能のなかで、茫洋たる明日に向けて、泣きべそをかきながら技を磨く少年たち。

 「WHO AM I」(1999年。大傑作である)のころだったか、ジャッキーにインタビューをしたときには“あんなに生やさしいものじゃなかったよ“と苦笑いをしていたけれど、この作品を観たときには、何かが欠けた、社会性や親子関係や才能の配分が欠損した人間こそが未来を作ると思えたものだった。

 映画というのはもともとそういう表現ジャンルなのかもしれない。永くそれを見るぼくら観客のほうもたぶん何かが欠けているのだから。

 1946年生まれ。今年70歳になるスティーヴン・スピルバーグも欠損した子どもだった。10年ほど前に自分を長年悩ませてきた悩みがディスクレシア(識字障害)だったことが判明し、それをカミングアウトした彼は、子ども時代から字が上手く読めず、数を数えるのが苦手だった。

父親からもらった8ミリ・カメラが運命を変える

 小柄でひょろりとした少年で、運動もまったくダメ。勉強も不得意で、ジョージ・ルーカスやロバート・ゼメキスらが通った名門南カリフォルニア大学(USC)の入学試験に3度失敗して断念した。

 つまりなんというか、スピルバーグはドラえもんがいないのび太だったのである。中学校時代のカエルの解剖の時間では、女子に混じって教室から逃げ出した唯一の男子生徒となり、いっそうの嘲笑の的になったりしている。

 「E.T.」(1982年)や「未知との遭遇」(1977年)に不在や家族を置き去りにする形で現われた実の父親アーノルドとの関係にも悩まされた。1965年、16歳のときに両親は離婚し、スピルバーグは3人の妹と共に母親と暮らすことになるが、そんな彼を救ったのは13歳のときに父親から譲り受けた8ミリ・カメラだった。

 父親が家族の記録用に購入したカメラだったのだけれど、テレビっ子だったスピルバーグは父の撮影手法に文句をつけ(画面をこんなに揺らしたら駄目だよ!)、面倒くさくなった父親が息子を撮影係に任命したのだ。

 ボーイスカウトの勧誘フィルムを撮ってみたら評判がよく、スピルバーグは生れて初めて他人から一目置かれるようになる。

 文字と理屈で世界を考えることは苦手だったけれど、動きと空間の広がりで物事を表現することに大きな才があったのだ。

 というような生い立ちを考えると、「戦火の馬」(2011年)、「リンカーン」(2012年)、「ブリッジ・オブ・スパイ」(2015年)につづく監督最新作、“おはよう、BFG。彼には世界のささやき声が聞こえているのだ”というモノローグで幕を下ろす「BFG:ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」(2016年)は愛おしい作品のように思えてくる。

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最終更新:9月1日(木)12時45分

Stereo Sound ONLINE