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大空襲犠牲者墓銘碑を除幕

長崎新聞 9月1日(木)9時23分配信

 太平洋戦争末期の佐世保大空襲による犠牲者の名前を刻んだ「墓銘碑」の除幕式が8月31日、佐世保市内であった。設立委員長を務めた佐世保空襲犠牲者遺族会の臼井寛会長(82)ら6人が除幕。出席した遺族ら約150人は戦争の記憶とともに、平和の尊さを次の世代に引き継いでいく決意を新たにした。

 墓銘碑建立は、遺族会や佐世保空襲を語り継ぐ会が1月に設立委を発足。正確に名を刻むため、遺族会が保管する名簿を再調査した結果、従来の発表より12人多い1242人が確認された。このうち28人はまだ名前が判明していない。市民から寄せられた浄財などで、同市熊野町の中央公園内にある「鎮魂慰霊平和祈願の塔」そばに3基(縦約1・4メートル、横約2・2メートル)を建立した。

 遺族らは石碑に刻まれた故人の名前を見つけて指でなぞり、手を合わせた。新たに名前が分かった永岡勝人さん(享年22歳)の妹、阿部多惠子さん(77)=神戸市=は「形に残したことで、戦争の悲惨さを後世に引き継いでいける。家族と一緒に何度でも訪れたい」と喜んだ。

 佐世保市熊野町の県立武道館であった建立記念式典で、臼井委員長が「事実を後世に正しく伝えていくことが、あしたを生きる世代のためになる」と謝辞。遺族代表で、父を亡くした高井ミドリさん(79)=諫早市=が「命を絶たれた人々の無念さを石に刻んでいただき本当にありがとうございます」とあいさつした。

 遺族会などによると、佐世保大空襲は、1945年6月28日深夜から翌29日未明にかけ、米爆撃機が焼夷(しょうい)弾約千トンを投下。約1万2千戸が全焼、約6万人が被災した。

◎「安らかに」願い込め/作曲の教諭ら 慰霊の歌合唱

 佐世保大空襲犠牲者の「墓銘碑」建立を記念した式典会場で「佐世保空襲犠牲者慰霊の歌」が披露された。作曲した市立大野中の音楽教諭、中島忠幸さん(56)らが平和を願い、鎮魂の歌声を響かせた。

 中島さんは「佐世保空襲を語り継ぐ会」会員の中島忠さん(86)の長男。忠さんらは25年ほど前「慰霊のため心を合わせるものを」と考え、会員で西蓮寺(瀬戸越町)前住職の茨木兆輝さん(86)が、空襲犠牲者を供養する曹洞宗の和讃に曲を付けることを提案。忠幸さんに作曲を依頼した。

 「次から次へと焼夷弾が落ちてきて」「とっさにタオルに自分の尿をかけて口にあてがい、一時しのぎの呼吸をする」...。1973年発行の証言集「火の雨」には祇園町の自宅で空襲に遭った忠さんの体験が掲載されている。「生きるため必死だった」。忠幸さんは当時15歳だった父の姿や犠牲者に思いをはせた。

 「鎮魂のイメージに合うものを」とヴェルディのレクイエム「涙の日」をアレンジして曲が完成。だが、日の目をみないまま時間が過ぎた。2年ほど前、会員で平和祈念館天望庵(吉井町)を運営する藤原辰雄さん(89)が楽譜を所有していることが判明。式典で曲を披露する話が持ち上がり、忠幸さんが所属する佐世保シティ音楽連盟が歌うことになった。

 忠幸さんはメンバー8人と「皆さんの思いが世界の平和につながっていけば」との願いを込めて合唱。茨木さんや忠さんら会場の約150人が歌に聞き入った。茨木さんは「墓銘碑に名が刻まれた一人一人の悲しみや苦しみを思いながら聞いた」。忠さんは「空襲を覚えている人も少なくなっている。(6月に毎年開く)追悼式などで歌い継いでもらいたい」と話した。

【編注】高井ミドリさんの高は、口が目の上と下の横棒なし

長崎新聞社

最終更新:9月1日(木)9時23分

長崎新聞