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「スタートレック」50周年:不滅のSFシリーズ誕生まで

ウォール・ストリート・ジャーナル 9月1日(木)13時42分配信

 クリンゴン人とロミュラン人とアンドリアン人が廊下を闊歩(かっぽ)し、カーク船長とミスター・スポックもその近くを通り過ぎる――ラスベガスのカジノで先日行われた大規模な「スタートレック」ファンの集いでの一場面だ。会場はシリーズの人気キャラクターに扮(ふん)するファンであふれ、中にはテレビ版にも映画版にもほんのわずかしか登場していない人物の格好をする人もいる。そんな中でもマニアックなコスプレをしていたのが、女優ルシール・ボールさんの格好をした1人の女性だ。

 テレビドラマ「アイ・ラブ・ルーシー」に出演していたボールさんは、実はスタートレックの誕生に深い関わりを持つ。1960年代の半ば、彼女が経営するプロダクション会社デシルは新たなテレビ番組の製作機会を模索していた。そこに届いたのが、ジーン・ロッデンベリー氏が手掛けたあるSF(空想科学)作品の台本だった。ボールさんはその脚本を読むことはなかったが、デシルはスタートレックと名付けられたその番組を製作する決断をする。

 シリーズの記念すべき第1話はスケジュールも予算もオーバー。また61万6000ドル(現在の価値で470万ドル)かけて製作したにもかかわらず、米テレビ局NBCは撮り直しを命じることになる。最終的に初回の放送が実現したのは、ちょうど50年前の1966年9月8日だった。

 番組に登場するエンタープライズ号には地球を代表するさまざま種が乗り込み、登場人物は未来を予知したかのような通信機器を使って連絡を取り合う場面があった。そんな斬新なストーリーだったにもかかわらず、番組は当初からつまずく。視聴率はなかなか伸びず、評論家も番組に関心を示さない。カーク船長を演じたウィリアム・シャトナーさんは「いつ番組が打ち切りになってもおかしくない状況だった」と振り返り、実際にスタートレックは3シーズンのみが製作された段階でいったん幕が下ろされた。

 それから数十年。2009年に公開された劇場版のスタートレックは3億8570万ドルの興行成績を上げ、来年1月からは米CBSで最新のテレビシリーズが開始されることも発表されている。スタートレック関連で150以上のライセンスを持つCBSは、275ドルするスタートレックのチェス盤から数ドルのバービーシリーズ人形まで、今も幅広いグッズをファン向けに生産する。グッズのなどの売り上げは過去5年で2倍以上に増えたという。

 当初は芽が出なかったスタートレックが、なぜ息の長い成功を手にすることができたのか。そこにはオンエア時ではなく再放送でファンを獲得していった経緯や、今では当たり前となったファン向けのイベントに注力していた点などが挙げられる。

 また、番組初期の映像視覚効果は今でも新鮮だとは言えないレベルだが、人間と宇宙人のクルーが最新技術を使って旅を続けるという壮大なストーリーは人気が続く理由のひとつだ。スタートレック人気が確かなものになっていくと同時に、製作陣がスピンオフ映画やテレビシリーズ、本、ゲームなどを通してその世界観をさらに広げていったことも、現在の成功につながっている。

 スタートレックが50周年を迎えるにあたって、今回はシリーズ開始当初の様子を知る関係者に当時の話を聞いてみた。

 スタートレックのエグゼクティブプロデューサーを務めたハーバート・ソロー氏は、1964年にボールさんのプロダクション会社デシルで働き始めた。

 ソロー氏:「当時、ルシールさんは『マダム・プレジデント』とみんなに呼ばれていた。スタジオは継続する新たな収入源を必要としていて、彼女と初めて会った日もテレビ番組を見つけてくるように言われた」

 ソロー氏は指示を受けてロッデンベリー氏と会い、スタートレックのコンセプトについて教わった。番組にはコストの懸念がつきまとっただけでなく、他にも不安材料があった。ロッデンベリー氏は当初、ミスター・スポックを赤い肌ととがったしっぽを持つ火星人のハーフにする構想を持っていたという。

 ソロー氏:「ヒーローの一人が悪魔の姿をしている番組なんて、どのテレビ局も広告主も手をださない」

 NBCはスタートレックの第1話を製作するようデシルに注文を出したが、その時点では番組の人気キャラクターが全員そろっていたわけではなかった。また仕上がった作品に対して「台本が知的すぎる」とする声なども挙がっていた。

 しかし、そんな中でもNBCは撮り直しを要求し、製作陣に2度目のチャンスが与えられた。当初船長役を演じていた俳優が降板したため、プロデューサーらは新たな主役としてシャトナーさんに注目。カナダ出身の彼は当時注目されていた新人俳優で、「トワイライト・ゾーン」や映画「ニュールンベルグ裁判」に出演するなどしていた。シャトナーさんいわく、ロッデンベリー氏は役作りのために(架空の英海軍将校の)ホレイショ・ホーンブロワーが登場する本を研究するよう勧めてきたという。

 今では新作映画やテレビ番組が「コミックコンベンション(コミコン)」といった場所で宣伝されるのをよく見かけるが、ロッデンベリー氏はSFファンなどが集まる場で番組をアピールする手法を手掛けた最初の一人でもある。ファンが番組を支えるネットワークを作ってくれると期待した彼は、テレビ局が第1話を放送する前にSFファンが集まる大規模な集会で番組を紹介。またロッデンベリー氏はそのようなイベントにスタートレックの衣装を持ち込んだりもした。イベントを運営していたのは、ファンの一人であるビージョー・トリンブルさんだ。

 トリンブルさん:「女性用の衣装が2着あって、小柄なモデルに肌の露出度が高いものを着せたこともあった。ファンは喜んでいたし、特に男性は大喜びだった」

 「それまでのSF作品といえば西部劇を丸写しして、拳銃と馬をレーザーとロケット船に入れ替えただけのものだった。でもジーン(ロッデンベリー)氏はSF作家を雇って台本の流れを考え、質が高くて深みのあるストーリーを作った。複雑な内容も見られたけど、メッセージ性の強い番組に仕上がった」

 日系米国人のジョージ・タケイさんの家族は、第2次世界大戦中に強制収容所に収監されていた。彼はロッデンベリー氏がさまざまな文化的背景を持つクルーをエンタープライズ号に搭乗させようとしていたと話す。

 タケイさん:「私はアジア系の役でオーディションを受けた。その時、ジーン氏は役の名前をどうするか悩んでいた。タナカだと日本人だし、ワンだと中国人、キムだと朝鮮民族、というようにアジアの名前には特徴がある。20世紀のアジアは不穏な時代を過ごしたので、どこか特定の国のキャラクターにはしたくなかったみたいだ。そんな中である時、壁に貼ってある地図を見ていたら、フィリピンにスールー海と呼ばれる海があるのを見つけた。この海はどの国ともつながっていると彼は感じ、そこから僕のキャラクターの名前を思いついた」

 スタートレックの最初のシーズンは、1話あたり約20万ドルをかけて製作された。予算の上限があったため工夫をしなければならなかったことも多く、例えばエンタープライズ号が他の惑星に着陸するシーンはお金がかかりすぎるとして断念している。また着陸専用のシャトル船を作る時間もなかったが、それゆえに誕生した名場面も存在する。

 スタートレックの脚本などを担当したドロシー・フォンタナ氏はロッデンベリー氏の秘書としてチームに加わり、やがて最初のシーズンの途中から脚本の編集を担当するようになった。

 フォンタナ氏:「シャトル船を時間までに完成することができなかった。そこでロッデンベリー氏が天才的なことを考えついて、『トランスポーター(瞬間移動)』を提案してきた」

 この結果、エンタープライズ号の乗組員が惑星などに上陸する際は、音響と視覚効果(スローモーションで撮影され、きらめくアルミ片が舞う映像)を使い、あたかも瞬間移動しているように見せる手法が定着していった。

 スタートレックの放送が始まっても番組に対する反応は総じて薄かったが、ミスター・スポックはファンの間ですぐに人気者になった。やがてスポック宛てのファンレターが主役の船長宛よりも多く届くようになったという。

 シャトナーさん:「スポックがブームになったときは、いったい自分の役はどうなるのかと思った。しかし、そのうち自分がメーンの人物で、あっちはキャラクターなのだと分かってきた」

 一方、エンタープライズ号の通信士官ニョタ・ウフーラを演じた黒人女優のニシェル・ニコルズさんは当時、重みを感じながら撮影に挑んだと話す。彼女は次第に番組への不満を募らせていった。番組でのウフーラの存在感のなさを感じ始めていた頃、彼女はちょうど舞台の仕事のオファーを受けたこともあったという。

 しかし、ロッデンベリー氏に辞めることを伝えた数日後、ニコルズさんはマーチン・ルーサー・キング牧師に会う機会があった。彼は番組のファンだと話しかけてきて、黒人女性がエンタープライズ号で活躍する意義の大きさを彼女に伝えたという。その話を聞き、ニコルズさんは番組に出演し続けることを決心した。

 視聴率が低迷していたスタートレックは第2シーズンの製作さえ不安定だったのに、第3シーズンとなるといよいよ状況は厳しくなっていた。それを受け、ファンのトリンブルさんは夫とともに「スタートレックを守れ」というキャンペーンを立ち上げた。番組を支持するファンの多くがNBCに集結し、また大量の手紙をテレビ局に送りつけ、スタートレックの継続を主張し続けたという。その結果NBCは第3シーズンの放送を決めたが、番組放送枠は月曜日から金曜日に移動することになった。

 フォンタナ氏:「枠の移動を聞いて『終わった』と感じた。金曜日の夜にテレビを見ているのは、私たちの視聴者層ではない。私たちのファンは高校生や大学生で、彼らは金曜の夜は出掛けたりスポーツの試合を見に行ったりする」

 番組が第3シーズンで打ち切りになった後、スタートレックはアニメ版となって土曜日の朝に放送されたりした。ファンの間では再開に向けて草の根運動が続けられたが、スタートレックの復活は1977年まで実現しなかった。

 シャトナーさん:「番組が打ち切りになって、出演者もそれを受け入れた。しかしその数年後、スタートレックのファンだったジョージ・ルーカス氏が『スター・ウォーズ』という映画を発表し、それが大ヒットした。それを受けて(デシルを買収した)パラマウントでも似たような内容のものを作れないかという話になった。その中でスタートレックがあるという話になって、復活させる運びになった。スター・ウォーズが(劇場版)スタートレックを製作する道筋を作ったわけだ」

 急いで製作されたリブート(再始動)版の映画は1979年に公開されたが、ファンの期待からほど遠く、評判はいまひとつだった。しかし、一定の興行成績を納めたことが、その後の続編製作へと結びついていった。

By John Jurgensen

最終更新:9月1日(木)14時3分

ウォール・ストリート・ジャーナル