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【巨人コラム・Gペン】犠打に歴史あり

スポーツ報知 9月3日(土)16時4分配信

 メジャーの試合を毎日チェックしていると、日本プロ野球では滅多に見られない事象が起こる。

 8月19日のマリナーズ・ブルワーズ戦では6回1死一塁で代打出場した青木宣親外野手が、「三塁手が後ろに(守って)いたので自分も生きようと思った」。三塁前のバントで走者を二塁に進め当初“犠打”が記録されたが、試合後マリナーズのサービス監督も「あれはアオキが安打を狙ったバント」と話したこともあって犠打から、内野ゴロとして打数1が付いた。

 野球規則のスコアリングルールの9・08、犠牲バント、犠牲フライの記録の項には「打者がバントしたとき、1人または数人の走者を進めるためではなく、安打を得るためであったことが明らかであったと記録員が判断したときには、打者には犠牲バントを記録しないで、打数を記録する」とある。ただ、日本プロ野球では、首位打者争いをしている選手が、こういう状況でバントをしても公式記録員は、打数をつけずに犠打をつける事がほとんだ。

 また、8月27日ドジャース・カブス戦の1回表無死一、二塁。カブスの4番・ゾブリストがいきなり送りバントを決めたのには驚いた。レイズ時代の2012年に1回からスクイズのサインを出したことのあるマドン監督も「ゾブリストはバントが好きだから」と笑っていたが、4番で決めたのは8月3日マーリンズ戦の8回に次いで2度目。今季は4犠打とけっして好きな選手ではない。レイズ時代から小技も出来る選手として評価している同監督だからのサインと見ている。

 さて、送りバントといえば川相昌弘・巨人3軍監督だ。通算533犠打は日本プロ野球記録だけではなくメジャー記録を上まわる。そのメジャーではエディー・コリンズの512が最多。しかし、コリンズがプレーしていた1900年初頭は外野フライで三塁走者を迎え入れた犠飛という項目(正式採用は1954年以降)がなく、犠打に含まれていた。つまり、実際の送りバントで決めた数は400前後になるはずだ。

 1926年から30年までの5年間は本塁生還ではなく、二塁や三塁へ進塁させた外野フライも犠打に数えられ、最終年の1930年のメジャー平均打率は1900年以降最高の2割9分6厘にも達したことで翌年から、犠飛が始める53年まで(39年除く)外野フライで走者を進塁させても打数1がついていたのだ。ちなみに通算714本塁打したベーブ・ルースのヤンキース移籍の20年からの犠打数を出すと5、4、4、3、6、6、10、14、8、13、21、0、0、0、0、0と規則の変遷を如実に表している。

 セ・リーグのチーム別犠打でともにリーグ最多の95個(1日現在)で並ぶ巨人と中日の対戦。犠打にはこんな歴史があるんです。

(3日付け6版Gペンに加筆しました)

最終更新:9月3日(土)18時45分

スポーツ報知

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