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「苦難の行軍」とは何だったのか? ある脱北知識人が経験した飢饉の正体(3) 金日成の死で始まった社会パニック パク・ヨン (写真3枚)

アジアプレス・ネットワーク 9/2(金) 5:10配信

◆食糧不足でパニックが発生したのではない

一部に、北朝鮮で起きた90年代後半の「苦難の行軍」という社会パニックの発生は、自然災害などによる食糧生産量減少に原因があると主張する「食糧不足起因説」がある。もちろん、これも一般的には、現象に対する理論的または分析的な見解の一つになるかもしれない。だが、私は経験によって、全面的にこれを否定したい。

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餓死すること、違法行為をすること、「コチェビ」になることは、社会的にみるとまさに強要であった。どんな研究調査によっても、「コチェビ」あるいは脱北者になることを、自然災害によって個人が選択したとはみなせないだろう。

次の二つの事実はパニックの「食糧不足起因説」を明確に否定している。
第一に、北朝鮮は食糧に対する国家独占配給制度を94年まで長年維持実施してきた世界唯一の国であること。一般的に、戦争や災害によって食糧が不足した時、国家が一時的に運営する非常時の制度が、まさに配給制である。これは誰もが知る常識である。

北朝鮮の建国以来続いた配給制の実施自体が、90年代の一時的な「食糧不足説」を否定している。数字的には、すでに70年代から全国で、15日ごとにある配給から2日分の配給量を厳格に削減していた。即ち、全国所要供給量の13%以上が不足している事態を国家が認めて、強い緊縮政策を執行してきたのである。

その深刻さは、金日成自らが「農業司令官」になって食糧増産に立ち上がり、「飯を食べる者ならば、すべてを農作業に動員すべし」と、農村動員を義務化した「主体農法」政策を実施するほどであった。

一般的に1年の4か月間は、全国のすべてが農村に集中動員された。住民の移転も、農村への一方向にだけ厳しく制限され、都市住民を系統的に農村に強制移住させた。生産者である農民ですらも、穀物だけは配給制に束縛された。購入経路のいかんを問わず、穀物二重受給(各自が国家供給規定量以上を得ることを意味する)は、銃殺刑に該当した。

それほど厳重に制定され、管理されていたのたが配給制なのである。在日朝鮮人の訪問団が来ても、彼らが消費する食糧分は、特別に海外同胞迎接総局が食糧政策総局に依頼しなければならなかった。

仮に、このような国家食糧政策が、変わらず健全に機能していたならば、たとえ予想外の災害によって食糧生産量の不足が生じても、農民市場に売りに出すほど、個人が米を隠匿備蓄することは到底不可能だ。また国家の独占取り扱い物資である穀物の自由販売現象を許すこともなかったであろう。

また、餓死者が発生し、また軍人が栄養失調で廃人になるようなことは絶対に起こらなかっただろう。国際支援による復旧効果も、どの国のケースより迅速で効率的に現れただろう。

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最終更新:9/2(金) 17:06

アジアプレス・ネットワーク