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寝耳に水!? 廃止渦中の「夕張支線」へ行ってみた

レスポンス 9月3日(土)19時15分配信

全線が赤字という厳しい経営環境に晒されているJR北海道。「選択と集中」という難問に立ち向かうため、収支が悪い路線の廃止へ舵を切り始めており、すでに留萌本線留萌~増毛間を12月4日限りで廃止する旨を表明している。

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これに続いて廃止が打ち出されているのが、石勝線新夕張~夕張間のいわゆる「夕張支線」だ。JR北海道が発表している2014年度の線区別収支状況によると、夕張支線は管理費を除いても営業係数が1247(100円を稼ぐのに1247円かかる)。これは、留萌本線留萌~増毛間の4161、札沼線(学園都市線)北海道医療大学~新十津川間の1909に続いて3番目に悪い数字だ。

このため、JR北海道は輸送密度(1日1kmあたりの平均輸送量)が500未満となっている、これら3区間を含む8区間を廃止したい意向を示しており、このことを察知した鈴木直道夕張市長は8月8日、JR北海道本社を訪れ、代替公共交通機関整備の協力、JRが所有する施設の譲渡、JR社員の夕張市への派遣を条件に、夕張支線の廃止を提案したという。これを受けたJR北海道は8月17日、夕張市長の提案を受け入れ、正式に廃止の申入れを行った。

夕張支線の廃止は、鈴木市長が「攻めの廃線」という考えから独断に近い形で申し入れたため、この報道が流れた途端、市民の間に少なからず動揺が広がったという。まさに「寝耳に水」と言ったところだろうか。

夕張支線は、もともと追分~紅葉山(現・新夕張)~夕張間の国鉄夕張線で、夕張市内に点在する各炭鉱から産出される石炭を輸送する目的で1892年に開業。1981年に千歳空港(現・南千歳)~新得間の石勝線が開業すると、追分~紅葉山間が同線に編入された。本線から外れた紅葉山~夕張間は、本来ならそのまま夕張線を名乗るはずだったが、このような経緯から同じく石勝線とされた。そのおかげで、国鉄再建法に基づく特定地方交通線に指定されることなく、JR北海道発足後も存続し現在に至っている。

かつて夕張市内には夕張支線を軸に、紅葉山と登川を結ぶ国鉄夕張線登川支線、野幌(江別市)と夕張本町を結ぶ夕張鉄道、清水沢と大夕張炭山を結ぶ三菱石炭鉱業(三菱大夕張鉄道)といった一般旅客営業も行う鉄道があり、沼ノ沢と真谷地間を結んでいた専用鉄道も一時旅客営業を行っていた。夕張支線が廃止されれば、夕張市内の鉄道は石勝線の「本線」を残すのみとなり、実質的に地域の足から鉄道が姿を消すことになる。

廃止は早くて2019年3月末という見方が有力だが、それまではまだ2年半ある。その間、夕張市とJR北海道がどのように夕張の新たな交通体系を提案するのかは興味深いところだが、その前に夕張支線の現況を改めてこの目で見ておくことにした。

現在、夕張支線の運行本数は上下各5本。今年3月のダイヤ改正では上下各4本が減便された。札幌から夕張支線へアクセスする場合、千歳を10時38分に発車する2629Dが便利だ。その1本前の列車は追分を7時8分に発車する2623Dだから、札幌から乗り継ぐのは不可能。夕張市内に前泊しない限り、否が応でも2629Dを利用せざるを得ない。そんなわけで、筆者が乗車した時は、平日にも関わらず廃止報道を聞きつけたマニアたちで賑わっていた。


今回の夕張支線行きでは、新夕張駅を除く全駅を訪ねることにした。ちょうど「青春18きっぷ」の日数が残っていたので、各駅を列車で自由に行き来できるはずなのだが、残念ながら列車本数が少ないのが仇になり、沼ノ沢から南清水沢までと鹿ノ谷から夕張までは徒歩にせざるを得なかった。鹿ノ谷~夕張間はわずか1.3kmなので気は楽だが、沼ノ沢~南清水沢間は4kmあり、普段歩かない人にはやや苦痛かもしれない。しかもアップダウンが多いので、夏場はかなりきつい。夕張支線でもっとも駅間営業距離が長い区間は清水沢~鹿ノ谷間の6.6kmだが、こちらはひと山越えるので勾配がきつく、よほど歩きに自信がある人以外は徒歩は避けたほうが賢明かもしれない。

そんなわけで、行程の都合で最初に訪れたのが清水沢駅。夕張支線最大の中間駅で、1987年まではここから私鉄の三菱石炭鉱業が分岐。三菱大夕張鉱から産出された石炭を国鉄に中継するため多数の側線が備わっていた。通票(タブレット)閉塞が残っていた2004年までは列車交換が可能だったが、現在は1線スルー化され、余計な線路はすべて撤去されている。そのため、ホームと駅舎の間は広大な空間と化し、その間に連絡通路が設けられる形となっている。駅は昨年に無人化され、出札窓口も撤去されてしまった。ただ、駅前には夕張支線最大の中間駅であった面影が残っており、文具店や旅館、駅前食堂が静かに営業していた。廃止されれば、駅前食堂が「駅」があったことを示す唯一の存在になるのかもしれない。

次に訪れた沼ノ沢駅は、かつて真谷地まで延びていた専用鉄道が発着していた。ホームの新夕張寄りには石積みの側線ホームが残っており、往時の賑わいを偲ぶことができる。無人駅ではあるが「レストランおーやま」という洋食店が併設されていたので、食事のついでに廃止後の行く末を尋ねてみたところ「現時点ではまったく見当もつかない」と言われた。おそらく現在はJR北海道から賃借していると思われるが、駅施設が市の所有になれば、いろいろと状況が変わってくるのかもしれない。夕張支線の存亡は店にとっても相当気になることであるに違いない。

沼ノ沢駅から並行する国道452号(通称・夕張国道)を歩いて1時間ほどで辿り着いた南清水沢駅は、三角屋根の小ぶりな駅で、国鉄時代は女性駅員が配置されたことで話題になった。ここは簡易委託駅で窓口が設けられているが、筆者が着いた15時過ぎはすでに営業を終えていた。窓口は現在も女性により運営されており、1840円までの乗車券(大人用)が端末発売されている。新千歳空港までのきっぷ以外はすべて金額式ということだ。入場券や硬券、補充券は発売していない。

この駅の近くには、夕張市内唯一の高校である北海道夕張高校がある。筆者が訪れた時はちょうど下校時刻に差しかかっていたが、隣の清水沢市街まではさほど距離がないせいか、南清水沢駅に隣接する踏切を渡り徒歩で下校する生徒がほとんど。いわゆる汽車通で乗り込んだ生徒は9人ほどだった。

南清水沢からは再び夕張行きの下り列車に乗り、鹿ノ谷へ。清水沢からは勾配をぐんぐん上りながら右手に渓流を望み、ときおり、廃止された夕張鉄道の線路跡を活用したサイクリングロードも見えてくる。夕張支線最大の難所かつハイライトと言える区間で、徒歩で越えるのはかなりきついと実感した。しかし、廃線跡マニアにとっては、サイクリングロードから夕張鉄道の跡を偲ぶことができる絶好の区間であるのかもしれない。


鹿ノ谷は、夕張鉄道が運行していた時代の共同使用駅だったところで、駅舎内はかなり広いが、ここも1線スルー化されており、多数の側線があった線路脇の空き地だけが全盛期の面影を残している。夕張寄りの隣にはおあつらえ向きに線路を望む跨線橋があり、撮影スポットのようになっている。

鹿ノ谷から終点・夕張までは再び徒歩。沼ノ沢~南清水沢間と比べると散歩気分の距離なのでさほど苦痛ではないが、少々、アップダウンがあるので、1km程度のわりには時間がかかった。17時過ぎに着いた夕張駅は三角屋根の瀟洒な駅で、レストランや観光案内所が併設されている。隣には屋台村もあり、財政破綻した夕張を元気づける拠点となっているようだ。

夕張駅は夕張線の開業時に登場しているが、その歴史は目まぐるしく、2度も移転している。初代は「石炭の歴史村」の敷地内に、2代目は市内中心部に近い、旧夕張鉄道夕張本町駅付近にそれぞれあった。1990年、石炭産業から観光産業への脱皮を目指してホテルマウントレースイがオープンすることに伴い、市の中心部から800mほど大きく外れて移転したのが3代目の現駅で、周辺には日帰り湯の「レースイの湯」もあり、市民の社交場になっているようだ。観光客の姿も目立つが、鉄道を利用してということになると、16時31分発の2632Dが出た後は19時28分発の2634Dになるので、推して知るべしだろう。

たまたま観光案内所にいた男性職員に尋ねてみると、廃止の報道があってから、訪ねてくる人が増え始めたという。とくに、筆者が千歳から乗ってきた2629Dで訪れる人が一番多いそうだ。札幌や新千歳空港方面からだと、この列車しか選択肢がないため、必然的にそうなってしまうのだろう。ちょうど夕食時になったので、隣接するレストラン「和(なごみ)」に入った。年配のご夫婦が経営されているレストランで、最終列車が出る直前の19時まで営業しているのはありがたい。

奥様に廃止の件を尋ねてみると、やはり降って湧いたような話で、市民のなかには「相談もなしに」と憤っている人もいるそうだ。今後は喧喧諤諤の議論となりそうな感じもするが、JR北海道と夕張市が新しい公共交通機関のあり方をどう提案するのかにかかっているのではないだろうか。この点については市民も参加しての活発な議論があってもよいと思う。

施設の譲渡が前提なら、JR東日本の気仙沼線や大船渡線のようなBRT(バス高速輸送システム)のような形が真っ先に考えられるが、雪深い夕張ゆえ、市が保有するバス専用道路ということになると、国道や道道では必要がない除雪費が頭の痛い問題になるのかもしれない。すでに鉄道と並行する道路が完備しているだけに、既存のBRTとは異なる付加価値が望まれるのではないだろうか。

そのようなことを考えながら、夕張19時28分発の追分行き2634Dで夕張支線を後にした。乗客はわずか3人で、途中駅での乗降もなかった。追分からは室蘭本線に乗り換え、岩見沢経由で札幌に戻ったが、このルートは、1972年まで札幌~夕張間で運行されていた準急・急行列車『夕張』と同じだ。乗換え時間の関係で『夕張』よりは1時間近く余計にかかっているが、函館本線の野幌(江別市)からショートカットして、室蘭本線の栗山経由で夕張に入っていたかつての夕張鉄道と比べると相当な遠回り。2回乗換えの手間も加わって、軽い疲労感を覚えた。

《レスポンス 佐藤正樹(キハユニ工房)》

最終更新:9月3日(土)19時15分

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