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大酒飲みの福島正則、酒の失態で天下三名槍を失う

ITmedia ビジネスオンライン 9月3日(土)5時38分配信

編集部F: あの石田三成が泣いてましたね。

小日向えり: はい、泣いてました……。

【賤ヶ岳古戦場に虹が!】

編集部F: 先週(8月28日放送)の『真田丸』で、佐和山城への蟄居を命じられた三成が、「こんなに豊臣家のために尽くしてきたのに……」と悔し涙を流すシーンがありました。山本耕史さん演じる三成は、これまでどんなことがあっても表情一つ変えない冷徹ぶりだったので、よほど堪えた出来事だったということが明白でした。

小日向: 忸怩(じくじ)たる思いがにじみ出ていましたね。実は史実でも毛利家の記録に「佐和山に蟄居するときに石田三成は心折れたようで涙していた」というような記録があるんですよね。人前で涙するなんて、よほどいっぱいいっぱいになっていたんでしょう。蟄居するべきはルールを破っていく家康のほうだろう!と悔しい気持ちでいっぱいだったはずです。

編集部F: 加藤清正や福島正則など、豊臣家・武断派と三成との対立を、徳川家康がうまく利用した様子もよく分かりました。この連載で前回取り上げた本多正信は「いっそのこと全員を処罰しては」という恐ろしい助言を家康にしていましたが、清正や正則はまだ利用価値があるということで、あえて咎めることはありませんでした。ところで、正則はどのような武将だったのでしょうか?

小日向: 清正と同じく豊臣秀吉に小姓として仕え、賤ヶ岳の戦いで名を挙げました。絵に描いたような豪傑ですが、情に深くて涙もろい、良いヤツ感がありますね。それに無類のお酒好きです。

 正則といえば、槍の名手で、天下三名槍の1つである「日本号」を愛用していました。ただ、それを事もあろうかお酒の失敗で失ったのです。

 福岡県に伝わる民謡、「黒田節」をご存じですか? 「酒は呑め呑め呑むならば 日の本一のこの槍を 呑みとるほどに呑むならば これぞまことの黒田武士」という歌詞が有名ですが、この基になっているのが、正則と、黒田家の家臣である母里(もり)太兵衛とのエピソードなんです。

 ある日、太兵衛は主君・黒田長政から正則のところへ使いを頼まれました。正則がお酒を一日中飲んでいるのを知っているので、長政から「酒を勧められても飲むなよ」と太兵衛は忠告を受けていました。案の定、正則に会うと、お酒を飲めと勧められたのです。いくら断っても駄目で、しまいには「それでも黒田の武士か」などと徴発されたので、太兵衛は意を決しました。飲み比べに勝てば何でも褒美をやろうと言うので、太兵衛は正則の日本号を望み、見事勝負に勝ちました。

 次の日、正則は起きると日本号がないので大慌て。太兵衛に返してくれと言いましたが、約束なので返すわけにはいきませんと、あっさり断られたというわけです。

編集部F: 正則の失態ぶりも微笑ましいですが、太兵衛の酒豪ぶりも武士らしく勇ましいですね。黒田節にあるように、今でも黒田家やその家臣の子孫たちは豪快にお酒を飲んでいることを期待したいです!

小日向: もう1つ、正則の情に厚いエピソードを紹介します。

 関ヶ原の戦いで正則とガチンコで対峙した西軍の将・宇喜多秀家が八丈島に流されて余生を過ごしたのは前々回の連載でお伝えしました。あるとき、正則の家臣たちが江戸に酒を運ぶ途中、遭難して八丈島に流れ着きました。そこで秀家に出会い、運んでいたお酒をほしいと言われたので献上したそうです。

 その後、正則のところに戻った家臣たちは八丈島で勝手にお酒を秀家にあげてしまったことを詫びると、正則は怒るどころか、彼らを褒めたのです。隠すことなく素直に申し出た家臣を喜んだと同時に、もしかしたら秀家のことを懐かしく思い、嬉しくなったのではないでしょうか。

編集部F: 関ヶ原では敵対しましたが、元をたどれば同じ豊臣家の家臣ですからね。

小日向: 秀家は秀吉に対する忠義を最後まで貫いたので、正則も敵ながらあっぱれと感じていたのでしょう。

最終更新:9月3日(土)5時38分

ITmedia ビジネスオンライン

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