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世界で最も危険な職業、ISに拉致された女性らを救出する人身売買業者

The Telegraph 9月3日(土)10時0分配信

【記者:Yvo Fitzherbert】
 金曜日の夕方、イスラム過激派組織「イスラム国(IS)」が事実上の首都とするシリア北部ラッカ(Raqa)のある場所で男たちが礼拝をしているときのことだった。ハロ・カルドさん(30)は、ベールをかぶった1人の女性にイスラム教の聖典コーラン(Koran)を握らされ、「私についてきて」と声を掛けられた。ハロさんはクルド系少数派ヤジディー教徒の女性で、ISに拘束されていた。

「これはわなだろうか」──ハロさんがためらいの表情を浮かべると、ベールの女性は、体を覆っていたチャドルの懐から携帯電話を取り出した。

 ハロさんは、携帯電話に録音されていた、ヤジディー教徒が使うクルドの方言、クルマンジ語で話す男性の声を聞いた。ハロさんは女性の後についていった。「2週間前にひそかに話したアブドラさんの声を聞いた瞬間、これは私たちにチャンスが来たのだと分かった」とハロさんは語った。

 ここはイラクのクルド人自治区内のドホーク(Dohuk)に点在している20か所以上の難民収容所の一つ、カディア(Qadia)だ。イスラム教の神秘主義スーフィズム(Sufism)とゾロアスター教にルーツをもつ宗教を信仰しているヤジディー教徒の人々は、イラク北西部のシンジャル(Sinjar)で先祖代々暮らしてきた土地からISに追われ、この地で再スタートを切ろうとしている。ドホーク地区には50万人の避難民が身を寄せており、イラクのヤジディー教徒の大半がここにいる。

 2014年8月、ISはハロさんが暮らしていたシンジャル南方のコチョ村を襲撃。ISは村の男性を女性と子どもから分け、400人以上の男性を一斉に銃殺し、集団墓地に埋めた。ハロさんの息子のハニ君は男性のグループに入れられたが、まだ9歳だったため送り返された。

■奴隷市場に売られて

 女性と子どもたちは近くにあるISの拠点タルアファル(Tal Afar)に連れて行かれ、拘束されていた他の人々と一緒に古い学校に詰め込まれた。タルアファルは、イラク北部の都市モスル(Mosul)とシンジャルの中間地点にある。

 逃げることは可能だったが、危険と隣り合わせだったとハロさんは言う。ある日、逃亡を試みた女性とその2人の子どもが、ISの戦闘員に捕まった。子どもたちは取り上げられ、その母親の姿を見ることは二度となかったという。

 拘束されている間にハロさんがどのような扱いを受けていたのか、彼女が語る以上の詳細を聞くつもりはなかった。性奴隷に関する話は、暗黙の了解としてタブーだった。

 ハロさんはISに拘束されながら、そこから南のアンバル(Anbar)県に送られ、アラブ人の家を転々とした後、シリアのラッカで悪名高い奴隷市場へと売られた。そして、他のヤジディー教徒の女性と共に、男性たちが女性たちを値踏みしによくやって来る集会所のような場所に入れられた。美しい少女たちほど高値で買われたが、すべての女性が「適正価格」でISの幹部や戦闘員に自由に買われ、ISにとっては手近な資金源となっていた。

 携帯電話を持っていなかったハロさんは、この時点まで外部との接触がまったくなかった。夫のチハードさんとは1年近く連絡が取れていなかった。村をISが襲ったとき、チハードさんはイラクのクルド人治安部隊ペシュメルガ(Peshmerga)と行動を共にし、戦闘に加わっていた。

 ハロさんは、ISとつながりを持つラッカのアラブ人一家の下で9か月を過ごした。食料品などの買い出しに市場へ行く役を与えられた。数か月ぶりに味わった自由だった。アラブ人一家の中でハロさんに同情した1人が、電話も使わせてくれるようになった。

「夫に電話すると、人身売買業者を知っているから、助け出す方法を見つけると言ってくれた」とハロさんは振り返った。拘束されていた間は何日も食事を与えられず、殴られ、奴隷のような扱いを受けていた。心身に大きな痛手を受けたが、それでも、子どもたちと一緒にいられることがかすかな希望になっていたとハロさんは話す。

■人身売買業者の手を借りて脱出

 夫のチハードさんと話して間もなく、ハロさんはアブドラという男性から連絡を受けた。ドホークを拠点に人身売買を行っているヤジディー教徒の主な業者5人のうちの1人だった。

 人身売買業者はそれぞれ独自に仲介者のネットワークを持っている。調整や協力の話はしても、ライバル意識はむき出しだった。アブドラさんの「仕事場」はラッカだ。彼はここで信頼の置ける30人ほどの仲介者から成る高度なネットワークを築いてきた。

「私たちはコーランを持って墓参りに行くふりをした」と、アブドラさんはドホーク中部のカフェで語った。「『ダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)のアキレス腱』はイスラム教だ。コーランはパスポートのような役割を果たし、疑いの目をそらせる」

 ハロさんは検問所を抜けた後、ラッカ郊外の隠れ家に身を置いた。それからハロさんと子どもたちは壕の中で、他のヤジディー教徒らと共に5日間過ごした。その後、夜通し車で移動して、ついにクルド人が支配するシリア北部の町アインアルアラブ(Ain al-Arab、クルド名:コバニ、Kobane)に入ることができた。そこからさらに車で7時間移動し、比較的安全なドホークに到着。アブドラさんのおかげで、ハロさんは苦難を脱した。

 ISの襲撃を受ける前のシンジャルには、約40万人のヤジディー教徒がいた。だがクルド自治政府の拉致問題関係当局によれば、ISはヤジディー教徒の男性3000人を処刑し、女性や子ども6000人以上を拉致した。

 一方、過去2年間で、拘束された人々の半数近くに当たる2500人以上が逃亡に成功、またはハロさんのように救出されている。

■拉致被害女性からの電話で作戦開始

 あまりにも多くのヤジディー教徒が拉致され、どの家の身内にも1人は行方不明者がいる。アブドラさんが人身売買に手を染めることになったきっかけは、拉致されためいがラッカから電話をかけてきたことだった。それまでは人身売買に関わるつもりは全くなかったと言う。

「きょうだいの家にいたときに電話が鳴り、めいが助けを求めてきた」とアブドラさんは当時を振り返った。「きょうだいに『ラッカにいるおまえの友人たちに助けてもらえないだろうか?』と頼まれた。それでこの仕事を始めるようになった」。2014年10月にめいを救出した後、アブドラさんは人身売買業者と仲介者による中核となるチームを築き始めた。

 アブドラさんはシリアで内戦が始まるまでは国内で車の部品を売買していたため、ラッカから北部にある第2の都市アレッポ(Aleppo)まで、人脈が広がっていた。その信頼できるネットワークを利用して、これまでに248人の救出作戦を成功に導いてきた。

「作戦は、拉致された女性が家族に電話をかけてきたら直ちに始まる」とアブドラさんは説明した。「電話がかかってこなければ、私たちは助けられない」

 最初の任務──拉致されている場所から捕らわれている人物を脱出させること──が、作戦の中で最も危険を伴う。「私たちが決行するのは、やつらの礼拝中が多い。やつらが一番油断しているときだからだ」と話すアブドラさんは一瞬笑みを浮かべたが、すぐに真顔に戻ってこう続けた。「だが、この瞬間が命運を左右する。作戦が失敗したせいで全員を失うのは最低の気分だ。そうだろう」

 ISの支配地域で秘密作戦の仲間が捕まれば、間違いなく殺される。作戦を2回終えるごとに、アブドラさんは部下の配置を変える。安全のためだ。作戦を成功に導くには、戦略的投資と時間、知略が求められる。

■救出の危険性と比例するコスト

 ラッカ中心部では、人身売買業者がベーカリーやコインランドリーを借り、ヤジディー教徒が拘束されている家にパンや衣服を届けて接触していたこともある。アブドラさんによると、彼のネットワークに参加している仲介人たちは皆、地元のアラブ人で、中にはISの元戦闘員もいるという。

 ヤジディー教徒救出に関わったことが発覚し、ISに処刑されたアラブ人仲介者は数多く、彼らが払う犠牲は大きくなっている。これはアブドラさんの救出作戦において何を意味するのか?「処刑が始まって以来、私のネットワークの者たちは皆、報酬の増額を要求するようになった」とアブドラさんは言う。「人身売買の世界では、救出の危険度に応じてコストが高くなる」

 アブドラさんのようなヤジディー教徒の人身売買業者は、何百人という女性たちの救出を組織し、ヤジディー社会の中で英雄視されている。だが、ドホークでヤジディー避難民支援NGO「Amy, Azadi u Jiyan」を運営する活動家のエイミー・ビーム(Amy Beam)氏は「ヤジディー教徒の人身売買業者はしゃべるのが好きだが、真のヒーローはISの支配地域で仲介者として動いているイスラム教スンニ派のアラブ人だ」と言う。

 人身売買の世界でアブドラさんのような人物は不可欠な存在である一方、遠隔から調整している「まとめ役」にすぎないとの見方もある。ヤジディー教徒はISの支配地域で活動することなど絶対にできない。

■カネずくめのIS支配地域、ヤジディー救出の「ビジネス」化

 ハロさんと同じコチョ村出身の人身売買業者カラフさんといとこのスレイマンさんは、同村から拉致されたヤジディー教徒を何百人も救出してきた。ドホーク郊外の広く新しいアパートに住んでカリスマ性をほのめかすアブドラさんと違い、カラフさんとスレイマンさんはカディアの避難民キャンプで、自分たちが助けた人々と一緒に暮らしている。

「シンジャルではアラブ人とクルド人が共存していた。私たちには多くの友人がいて、そうした友情がヤジディーの少女たちの助けにつながることがよくあった」と、カラフさんは言う。「だが報酬が支払われ始めるとすぐに、ヤジディーの救出はビジネスになった」

 ISの支配地域では、カネと財産がものすごい速さで動いている。外国人の戦闘員たちは、ISが約束するカネと女性につられて参加している。そこには際限のないカネずくめの傭兵経済、つまり自由市場の悪夢があり、ヤジディー教徒は価格が値ごろならば取引される商品なのだ。そのため、捕らえたヤジディー教徒を家族に返すことで儲けようとするIS戦闘員も多い。

 ヤジディー教徒の救出作戦を始めた当初は、金銭の受け渡しは少額だったとカラフさんは言う。「少女を救出する際に時々、ISのメンバーが2000ドル(約2万円)を要求していた。だが今は2万ドル(約200万円)でさえ安いとみなされている」

 多くのヤジディー教徒は、そのような高額な料金を払う余裕がない。「ヤジディーたちはシンジャルから逃げたとき、着の身着のままですべてを置いてきた」と、ヤジディー教徒をドホークで支援する米NGO「ヤズダ(Yazda)」のジャミール・チョーマー氏は言う。

 シンジャルがISに襲撃された直後、石油マネーで潤うクルド人自治政府は拉致問題担当省を立ち上げた。背景にはクルド人自治区の民兵組織ペシュメルガがシンジャルを防衛できなかったことに対する罪悪感もあっただろうし、また救出作戦による支出は避けることのできない戦争コストの一つだと認めたかのようにも見えた。

 アブドラさんのような人身売買業者は、クルド人自治区の拉致問題担当局と密接に連携し、情報を交換したり、必要ならば秘密作戦に軍事支援を要請したりした。同局は人身売買業者に直接資金を渡すのではなく、救出作戦が完了した後に、家族が支払った報酬を肩代わりする。「家族が業者に渡したカネはすぐに補償されることが貸し手側も分かっているため、家族は資金を借りやすい」とジャミール氏は説明する。融資は、慈善団体やNGOなどが買って出ていた。「しかし当局は2015年に資金援助を停止した。以来、多くの家族が必要な資金を集められずにいる」

 そのような家族の1人、ヤジディーの農夫ハサンさんに会った。彼は今、ドホークから南へ15分の場所にあるシャリア(Sharia)キャンプで暮らしている。彼は毎日、ラッカで拘束されている姉妹と連絡を取っている。拘束者たちが求める身代金は1万2000ドル(約120万円)。人身売買業者への手数料1万ドル(約100万円)と合わせて、ハサンさんは全部で2万2000ドル(約220万円)を準備する必要がある。

「10日間、テントからテントへと回り、2000ドル(約20万円)をかき集めた」と、ハサンさんはしわくちゃになったわずかな札束を見せながら語った。「政府の助けがない中、私たちヤジディーには頼る相手がいない。でも他に選択肢はない。姉妹は私に助けを求めている」【翻訳編集】AFPBB News

「テレグラフ」とは:
1855年に創刊された「デイリー・テレグラフ」は英国を代表する朝刊紙で、1994年にはそのオンライン版「テレグラフ」を立ち上げました。
「UK Consumer Website of the Year」、「Digital Publisher of the Year」、「National Newspaper of the Year」、「Columnist of the Year」など、多くの受賞歴があります。

最終更新:9月3日(土)10時0分

The Telegraph

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。