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米軍「クマ基地」看板と再会 勤務元軍人や家族18人来千

苫小牧民報 9月3日(土)15時41分配信

 千歳にかつてあった米軍「クマ基地」に勤務した退役軍人や家族の18人が2日、来千した。同基地の日本人要員が後につくった「米友会」のメンバーらと交流したほか、同基地が置かれて当時の関連施設が今も残る陸上自衛隊東千歳駐屯地も訪れて、懐かしい記憶をたどっていた。

 昼近くの駐屯地内一角、第7師団史料館で歓声が上がった。「おお、この看板は私が作ったものだ」と、フィリップ・ラックスさん(74)=ワシントン州=は少し涙ぐむほど感激していた。展示室内には「WELCOME(ようこそ)」と英字で記され、ヒグマが右前脚を挙げているイラストをあしらった鉄製の看板があった。領域の門で将兵を出迎え、見送ったシンボル。チトセ・エアステーションのあったFAC―1054キャンプ千歳。通称「クマ基地」の標識だ。通信を主任務に1970年まで現在の東千歳駐屯地内に所在した。

 ラックスさんは米陸軍の特技兵として資材系の技士を1964~65年にかけて務めた。同氏によると、それまでなかった看板を作ることが決まり、木製は朽ちるため鉄製を選んだ。背景全体とヒグマの形を基地内の作業場で鋼板から切り出して溶接。「このとき、外国製のものは良くなかったが日本製の工作機械は抜群によく働いた」との記憶だ。「(看板は)もうないと思っていたからね」と言い、カメラで何枚も撮影を重ねていた。

 クマ基地ゆかりの元米軍人一行による公式的な千歳訪問は2004年以来12年ぶり。今回の米側一行は同国内に居住する50代~80代で元軍人の男性10人と妻や娘の女性8人で4日まで滞在する。

 基地所在時、米軍向けに建設された建物が今もわずかに残る東千歳駐屯地。教会だった建物は現在、講堂の一つとなっていて、入り口前で一行は記念撮影した。

 米軍による千歳進駐は1945(昭和20)年に第2次大戦終結から1年後の46年以降に本格化。朝鮮戦争やベトナム戦争の間、多くの米軍人が駐留したが、その後は相次ぐ部隊の撤退を受けて最後まで残ったクマ基地も閉鎖した。

 駐屯地再訪ツアーに先駆けて、日本唯一の機甲師団、第7師団の役割や日常を紹介する映像上映があった。「陸上自衛隊は私がいた頃に比べて、装備や練度がとてもレベルアップしている」と感心したのはアラン・クーパーさん(76)=ネバダ州=だ。

 特技兵としてクマ基地で勤務し、若くして除隊した後は、コンピューター技士になり航空会社などに勤務したという。「今住んでいる場所の近くにはとても大きなタホ湖があるけれど、ここの支笏湖はきれいだ。あそこが好きで今でもよく思い出す」。屈託ない笑顔にできた深いしわに、千歳の記憶が刻まれていた。

最終更新:9月3日(土)15時41分

苫小牧民報