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ヤンキースの返球170キロ男アーロン・ヒックス

東スポWeb 9月4日(日)10時17分配信

【元局アナ青池奈津子のメジャー通信】「空いている時間があれば、ゴルフばかりしているよ」

 ヤンキースのアーロン・ヒックスがそう言った時、正直「またか」と思った。様々な規制のあるメジャーリーガーたちにとって、ケガの心配が少なく、オフの時間を有意義に過ごせるとあって、ゴルフをする選手は少なくない。だから彼が「オフは週に3~4回はやっているよ」と言った時も「野球の後はゴルフ選手になれるほどだね」と返したのは半分お世辞のつもりだった。だが、この後ひどく後悔することになる。

「今は野球が一番だけど、いつかプロゴルファーに挑戦できたらいいな」

 とても素直な人柄を思わせる明瞭な口調で、こう続けた。

「実は野球のバットを握るよりも前にゴルフクラブを握っていたんだ。父がゴルフが好きで、物心つく前からゴルフパートナーにされていてさ」

 3~4歳ごろから父ジョセフさんとゴルフの練習場に行き始めたアーロンは、幼いころからトーナメントなどにも出場。地元では「タイガー・ウッズ」と呼ばれるほどゴルフがうまかった。プロゴルファーは父が息子に望んだ夢であり、アーロン自身もまんざらでもないと思っていた。

「12歳の時、14歳年上の兄ジョーと庭で『ストライクアウト』ってゲームをしていた時に家にあったバットを折っちゃって、父にすごく怒られたんだ。その時にジョーが父は元プロ野球選手で、すごく野球がうまかったんだって教えてくれたんだ。そんな話、父は一度もしてくれたことがなかったから、驚きと尊敬とが入り交じった気持ちになったのを覚えているよ。折ってしまったバットは父の現役時代に使っていた最後の一本だったんだ」

 1975年、パドレスにドラフトされたジョセフさんは、メジャーリーガーになる夢を抱いてマイナーで奮闘していた。不運が襲ったのは79年。投球を顔面に受け、左目を負傷してしまう。なかなか治らぬ左目の後遺症から2年後に球界を去ることになる。そして、野球を封印した。その後、目は完治したが、テレビも一切見ず、友人たちが話題に出すのも許さなかった。次男にはケガのリスクが少ないゴルフの道を提供した…はずだった。

「そこから興味を持ち始めて、友人と野球をしだしたら楽しくて。父は僕が野球をするのを反対したよ。やるんだったら左で打てって。難しいから僕が音を上げると見込んだんだ。あと、左バッターの方が死球になる確率が低いって父は思っていたみたい」

 父の思いとは裏腹に、左打ちをチャレンジだと捉えて必死に練習したアーロンはスイッチヒッターとなった。高校で、シーズンがかぶってしまうゴルフと野球との選択を迫られ、野球を選んだ。

 英語で「LIKE FATHER,LIKE SON(この父にして、この子あり)」と言うが、友人たちより遅く始めた彼の野球の才能が父親譲りであるのは、誰の目からも明らかだった。バットを折ったあの日から動き始めた運命の歯車。アーロンの野球人生はまだこれからだが、彼がいつかゴルフクラブで観衆を沸かせるのも見てみたいと思うのだ。

 アーロン・ヒックス 1989年10月2日生まれ。26歳。カリフォルニア州ロングビーチ出身。188センチ、86キロ。右投げ両打ち。外野手。2008年、ドラフト1巡目で指名されたツインズに入団。13年4月1日のタイガース戦でメジャーデビュー。15年に97試合に出場し、いずれも自己ベストとなる打率2割5分6厘、11本塁打、33打点、13盗塁をマークする。今季からヤンキースでプレーし、中堅のレギュラーとして定着。4月20日のアスレチックス戦では外野からの返球スピードで105・5マイル(約170キロ)を記録し、話題となった。

最終更新:9月4日(日)10時17分

東スポWeb

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