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<北朝鮮写真報告>映像に記録された少女たちの受難(2)  私に駆け寄って来たホームレス少女たち(写真5枚)

アジアプレス・ネットワーク 9/4(日) 5:10配信

北朝鮮全土が未曽有の大飢饉の最中にあった1998年の早春、私は北朝鮮北東部の咸鏡北道(ハムギョンプクド)に三週間余り滞在する機会を得た。日本で寄付金を募って食糧支援をすることになり、そのモニタリング活動のために現地を訪れたのだ。

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訪問地の一つ、羅津(ラジン)市を拠点にして周辺地域を周ることにした。宿泊していた南山ホテルの周囲には、いつも「コチェビ」(ホームレス)の群れがたむろしていた。役人やホテルの警備員は、外国人相手に物乞いをする子供たちを追い払うため、しばしばビンタを張った。

ホテル前に毎日姿を見せる小さな女の子がいた。シラミにたかられていつも頭をごしごし掻いていたので、私は彼女のことを密かに「シラミちゃん」と名付けた。

私はジャンパ―のポケットに、中国から持ち込んだ支援用のお菓子をしのばせ、隙を見てお腹を空かせている子供たちに手渡した。警備員の眼を盗んで駆け寄って来る「シラミちゃん」とは、毎日一言二言ことばを交わすようになった。両親は? 家はどこ? と訊くと、「父さん母さんはいません。アパートの階段でトンムたち(友達)と一緒に寝ています」と、簡単に身の上を話してくれた。

「シラミちゃん」とのやり取りを記録しようと思い立ち、首からビデオカメラをぶら下げてジャンパーの中に隠し、スイッチを入れて「シラミちゃん」が来るのを待った。写真は、その時に撮影したものである。

4歳だという「シラミちゃん」は、私からお菓子を受け取ると、「コマプスムニダ」(有難うございます)と言ってぺこりと頭を下げた。「コチェビ」少女が律儀に挨拶するのが、私にはちょっとした驚きだった。

モニタリング活動をなんとか終えて中国に出国した私は、北朝鮮から非合法に越境して来た人たちの聞き取り調査を再開した。インタビューさせてもらった40代の女性に、「シラミちゃん」とのささやかな「交流」のことを話した。母親でもある彼女はこう言った。
「その子は、親が死んだか、別れたかして間もないはずですよ。だって礼のしつけを守っているんですから」

あれから18年。「シラミちゃん」のことが、今でも時々思い出される。(石丸次郎)

←ホテル前の広場にはいつも「コチェビ」がたむろしていた。年代ごとにグループを作っているようだった。マフラ―を頭上で広げているのが「シラミちゃん」。

←ホテルの部屋から望遠レンズで撮った「シラミちゃん」。ぶかぶかの大人用の靴を履いていて、逃げ遅れてよく警備員に叩かれていた。

最終更新:9/4(日) 11:36

アジアプレス・ネットワーク

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