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「キリストの墓」伝説の新郷村に長慶天皇の“御陵”?伝承保存会が初の慰霊祭

デーリー東北新聞社 9月4日(日)11時20分配信

 「キリストの墓」から直線距離で南方に約3キロ。青森県新郷村西越崩(くずれ)に、もう一つの墓伝説がある。集落の塚に南北朝時代の長慶天皇が眠っているという。言い伝えを後世に残そうと、天皇の命日とされる8月27日には、現地で初の慰霊祭「長慶天皇祭」が開かれた。“歴史とロマンの里”の新たな観光スポットに―と関係者は期待を寄せる。

 長慶天皇は南朝第3代の天皇。生い立ちは定かでないが、1368~83年に在位し、94年に亡くなったとされる。関連史料が少なく、宮内庁が在位の事実を公認したのは大正時代になってから。埋葬地も不明のまま、嵯峨東陵(さがのひがしのみささぎ、京都市)を陵墓と定めた。

 動向が明らかになっていないが故に、御陵伝説は新郷村だけでなく、二戸市、弘前市などの近隣を含め全国各地に残る。

 村史などは、敵方の追跡から逃れてきた“長慶天皇の墓”として塚が造られ、地名と墓守2人の名字に崩御の「崩」の字を与えたと記す。現在、集落には8世帯の崩さんが住む。

 さらに、集落の伝承によると、仙台で見つかった長慶天皇にまつわる日記のような文書を基に、1935年ごろに研究者が訪れ、集落の塚が墓であると説明。人々は「高貴な人の墓」といわれていた塚を、その時初めて天皇の墓と認識するようになったという。

 時代を経て伝説を知る住民は少なくなっていたが、近年になって命日の8月27日に慰霊祭を―との機運が高まった。開催に当たって、集落の住民ら10人で「崩伝承保存会」も結成した。

 慰霊祭には、地元住民や須藤良美村長、村観光協会の滝沢仁会長ら16人が出席。櫛引八幡宮(八戸市)の營田稻太郎宮司が神事を執り行い、厳かに長慶天皇のみ霊を慰めた。

 保存会代表の崩弘幸さん(55)は「伝説によると集落が誕生したのは600年以上前。慰霊祭はこれから毎年継続して開催していきたい」と意欲的だ。

 須藤村長は「初めての慰霊祭で、眠っている人も喜んだだろう。真偽は分からないが、ロマンあふれる墓だ」と強調。滝沢会長は「協会としても観光スポットとして取り上げていきたい。道案内板などの設置を考えたい」と語り、新たな観光資源に位置付ける考えだ。

デーリー東北新聞社

最終更新:9月4日(日)11時20分

デーリー東北新聞社