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【あの時・延長50回の死闘】(3)日付変わっても戻れない…悩む交代

スポーツ報知 9月5日(月)15時6分配信

▽全国高校軟式野球選手権・準決勝 中京3―0崇徳=延長50回=(2014年8月28~31日・兵庫、明石トーカロ)

【写真】試合会場だった明石トーカロ球場には、試合のスコアシートが記されたプレートが設置されている

 先の見えない投げ合い、文字通りの死闘に、両投手の体は3日目あたりから悲鳴を上げていた。松井は「一番は左でん部の張り。歩くのもきつかった」と、当時の痛みを思い出して顔をしかめた。石岡も「朝起きると、腰から下半身にかけてがめっちゃ痛かった」。

 すでに3日を戦い抜いたが、これは連戦ではなくあくまで一つの試合。途中交代した選手は、たとえ日付が変わっても試合に戻ることはできない。安易な交代が命取りになる可能性もあって、この試合の交代人数は極端に少なくなった。崇徳の交代選手は、代打1人と野手の交代が2人の合計3人。中京に至ってはゼロだ。中京の平中監督は「賛否両論、散々言われましたけど…」と前置きした上で切り出した。

 「正直、松井の交代は考えていなかった。代えようにも、代えるタイミングがなかった。野手も一緒。突然出ていって、石岡くんのボールに対応できるのかどうか。ただ、指導者として良かったのかな、とは今も思いますね」

 一方、崇徳ベンチは4日目を前に大きな決断を下そうとしていた。石岡から本来のエース・重松への継投だ。しかし、3日目の試合を終えた夜、他の部員から「監督が重松を先発にしようか悩んでいる」と打ち明けられた石岡は、翌朝、重松の元へと向かった。

 「俺が一人で投げるから、お前は決勝で投げてくれ」。そう頼み込むと、中河和也監督と投手陣によるミーティングでも自分の意志を伝え、続投が決まった。「どうしても9回投げきりたかった。(松井)大河が降りてなかったので、なおさらですよね」。3日間マウンドに立ち続けた背番号6の意地だった。

 この頃には、メディアも「野球世界最長試合」の行方にようやく注目。海外でもニュースになった。しかし、松井は「疲れもあったし、部員の間でも、そんな会話は出てこなかったですね。取材でそのことを聞かれてもピンと来なかったです」。石岡も「世界記録だなんて、何も考えていなかった」。2人にそんな余裕はなかった。(種村 亮)=敬称略=

 ◆松井 大河(まつい・たいが)1996年5月16日、岐阜・多治見市生まれ。20歳。脇之島小1年から「脇之島クラブスポーツ少年団」で野球を始める。南ケ丘中では軟式野球部でプレー。中京高では2年夏からベンチ入り。中京大ではスポーツ科学部に所属。球種はスライダー、カーブ、ツーシーム。171センチ、70キロ。右投右打。

最終更新:9月5日(月)15時33分

スポーツ報知

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