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誰が何のために?霊園を上空から見ると旧市章 北九州市

西日本新聞 9月6日(火)9時43分配信

 谷口霊園(北九州市八幡東区高見3丁目)を上空から見ると、旧八幡市章が浮かび上がる-。同区在住の郷土史家で「北九州市の文化財を守る会」の前薗広幸会長からそんな話を聞き、真相を確かめようと取材を始めた。でも、一体誰が何のために? 霊園の謎を追った。

【画像】旧八幡市の市章とはどんなデザイン?

「記録は残っていない」

 そもそも旧八幡市の市章とはどんなデザインなのか? 前薗会長によると、中心点から八つの旗が放射状に立っていて、8本の日の丸国旗を意味しているという。今も同区などのマンホールの一部に形をとどめる。

 一方、谷口霊園は1933(昭和8)年に完成。学校の不燃化や上水道の整備などに手腕を発揮した図師兼弐市長や、後に市長として戦災復興を推し進めた守田道隆・土木課長が建設に携わったという。

 同区役所まちづくり整備課によると、同霊園には昭和初期に同市内で行われた区画整理で移転が必要になったり、民間墓地にあったりした墓を集約。同課には、戦前に作成された可能性が高い絵図や平面図が残り、完成時には現在と同じデザインだったとみられる。航空写真=写真=を見ると、旧八幡市章の図柄と似ている。

 ただ同課は「霊園に市章をデザインしたという記録は残っていない」。前薗会長も「市章を使った明確な理由を示す物は残っていない」と話す。

「ヤハタという呼び方を広めたかったのでは」

 「谷口霊園=旧八幡市章説」が正しいなら、どんな目的があったのか。前薗会長は「八幡の呼称問題」が背景にあるとみる。

 霊園完成時、八幡製鉄所や政府は「八幡」を「ヤワタ」と表現していた。読み方の起源は「欧米人がヤハタのハを発音しづらかった説」や、「全国的には八幡をヤワタと読むことが多く、間違えられた説」が考えられるという。

 一方、旧八幡市や地元紙は「ヤハタ」と呼んだ。旧八幡市の市章は、旧八幡町時代の1903年、当時の池田常三郎町長が「八つの旗」でヤハタという意味になるように考案し、八幡市に引き継がれたという。「国がヤハタと呼んでくれない中、図師市長や守田課長はヤハタという呼び方を広めたかったのではないか」。前薗会長は推理する。

 とはいえ、「谷口霊園=市章説」は地元でもあまり知られていないようで、確かなことは分からなかった。

■旧八幡市

 現在の八幡東区、八幡西区の大部分にあたる地域。1889年に現在の八幡東区にあった尾倉、大蔵、枝光の3村が合併した際、各村がそれぞれ八幡神社を祭っていたため「八幡」という村名になった。八幡町になる前年の1899年の人口は約6千人だったが、1901年の官営八幡製鉄所の創業を機に急増。約8万4千人を数えた17年に市制を施行し、北九州の旧5市が合併する63年まで存在した。

西日本新聞社

最終更新:9月6日(火)18時1分

西日本新聞

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