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通貨が壊れるとき(イギリス・ポンド編)

マネーの達人 9/6(火) 5:18配信

欧州通貨であるユーロができるまで

ヨーロッパで共通の通貨を作り、ドルに対抗できるもうひとつの基軸通貨にしようという試みの結果実現したのが現在の欧州通貨ユーロである。

ところがそれまで各国ごとに発行していた通貨をまとめてひとつに統合するというのは容易な事ではなく、時間をかけて計画的におこなわなければならなかった。

その第一歩としてできたのが、「EMS(欧州通貨制度)」である。

イギリスも元々参加する意思があった

欧州はとりあえずこのEMSのもとで、経済的にもっとも強いドイツマルクを基軸通貨として、各国通貨とマルクの交換比率を上下2.25%というわずかな変動幅に抑える実質的な固定相場制を採用することにした。

このときにイギリスもEMSに参加していた。現在ポンドという独自通貨を持ち、ユーロに加盟をしていないイギリスだが、このときはユーロに創設に参加する意思があったのだ。

EMSに参加した1990年イギリスは非常に景気が悪く、本来なら利下げをして景気刺激策を採るべき時期。

固定相場制を守るために…

ところが東西統合後の多大な財政支出でインフレが起こっていたドイツが高金利政策を採っていたためにイギリスも歩調をあわせて利上げに踏み切らざるを得なかった。

マルクの金利が高いのにポンドの金利を低く留めていればポンド売りマルク買いが促進され、EMSの参加条件である固定相場制を守れなくなるからだ。

適切な景気刺激策が採れないイギリスの景気が悪化する一方だった。不景気が長引くとともに海外からの投資資金の引き揚げや流出が起こり、こちらでポンドの下げ圧力が発生してしまった。

下落が一定幅を超えるとEMSの参加条件を満たせなくなるのでイギリスの中央銀行であるイングランド銀行は手持ちのマルクを売ってポンドを買い支えるという政策を採った。

参加条件である為替変動ラインを割り込む羽目に

そのうちイングランド銀行がマルクを使い果たすときが来て、やがてポンドは暴落するというということを見抜いた人間がいた。クオンタムファンドというヘッジファンドを率いる投機家のジョージ・ソロスである。

今のうちにポンドを「空売り」しておいて、暴落した時点で買い戻せば大きな利益を手にできる。そう予想したソロスは1992年9月頃から猛然とポンド売りをしかけ、多くのヘッジファンドがそれに追従した。

ソロスの思わく通り中旬にはイングランド銀行もポンドを買い支えられなくなり、9月15日ついにポンドはEMSの参加条件である2.25%の為替変動ラインを割り込んでしまった。

翌日イングランド銀行は利上げに踏み切った。公定歩合を10%から12%に引き上げたのだ。

ヘッジファンドが仕掛ける「空売り」というのは銀行からポンドを借りて、それでマルクを買うという行為である。つまり再びポンドを買い戻すまでは金利がかかるのだ。

その金利を引き上げてヘッジファンドのポンド調達の意欲を削ごうとしたのである。だがそれでもポンド売りの勢いは止まらず、イングランド銀行はなんとその日のうちに公定歩合を15%に引き上げてしまった。

1日に2度、合計5%の利上げ。この異常な措置は皮肉なことに「もう後がない」ということの証拠と判断した投機筋のさらなるポンド売りを誘ってしまった。

イギリスでユーロが使われていない理由

1992年9月16日水曜日午後4時。

イギリスはEMS脱退を発表してポンドを変動相場制に戻した。たがが外れたようにポンドは暴落し、ヘッジファンドは大きな利益を手にすることとなった。

この日のことは、「ブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)」として金融史上に記憶されることとなった。そしてこれがイギリスにおいてユーロ(EUR)を使われていない原因である。(執筆者:玉利 将彦)

最終更新:9/6(火) 5:18

マネーの達人

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