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昭和の民謡集に山中節 初期に発刊、譜面と歌詞掲載

北國新聞社 9/6(火) 2:52配信

 山中節の譜面と歌詞が載った昭和初期の童謡民謡集が見つかり、加賀市山中温泉の山中座に寄贈された。山中節を全国に広めた山中芸妓(げいぎ)の初代米八さんの歌を聴いて書かれたとみられる。童謡民謡集は、西洋音楽が広まる中で、後世への普及を願って編集されたもので、地元関係者は山中節が当時から、日本を代表する温泉民謡として認知されていたことを示す貴重な資料とみている。

 寄贈されたのは、1935(昭和10)年発行の「續(ぞく)日本童謠民謠(どうようみんよう)集」で、全国の童謡と民謡計385曲が収録されており、石川県内からは山中節が唯一掲載されている。

 山中節の譜面を書いたのは、旧三木村(現加賀市)出身の小学校教諭、立野與市(たつのよいち)さん(71年死去)で、立野さんの長男達郎さんの妻与志枝さん(84)=金沢市小将町=が、民謡集を保管していた。山中節の地元で保管や活用をしてほしいと初代米八さんの遺品が展示されている山中座に寄贈した。

 与志枝さんによると、與市さんは24(大正13)年から約2年間、山中尋常高等小学校(現山中小)で音楽を教えていた。「そのころ、初代米八さんのところに通っていた」と生前、話していたという。

 民謡集に載った山中節の脚注には「山中温泉に在任中に最も本格的と名指されていた歌い手に就いて丹念に採譜した」と記されており、山中節の研究や普及活動を行う「山中温泉ゆけむり倶楽部(くらぶ)」顧問で同市山中温泉の守護寺真言宗医王寺の鹿野恭弘住職(82)は初代米八さんの歌と推定した。

 童謡民謡集は、広島高等師範学校附属小(現広島大附属小)の音楽研究部によって制作された。前書きには、子どもたちが民謡や童謡を歌う機会が減ったことに危機感を覚えたことが編集のきっかけだったと記されている。鹿野住職は教材として使われていた可能性があるとし「いまの児童も民謡を歌う機会は少ない。山中節を大切な日本の歌として継承していきたい」と意欲を新たにした。

北國新聞社

最終更新:9/6(火) 2:52

北國新聞社