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藤代冥砂が写す沖縄の光、色、祈り 写真集「あおあお」を語る

琉球新報 9月7日(水)16時0分配信

真っ白に、空っぽにしながら撮って…

 東日本大震災を機に神奈川から沖縄に移り住んだ写真家、藤代冥砂さん(49)。これまでMr.Childrenや広末涼子、嵐、元AKB48の大島優子らの写真集の撮影を手がけるなど数多くの作品を出してきた中、今回初めて沖縄で撮影した写真だけで構成する、初の風景写真集「あおあお」を出版した。沖縄での5年間で、何を写し、何を写さなかったか―。藤代さんに聞いた。(風景写真は全て写真集「あおあお」より)

―写真集としてまとめていくときに、どんなことを意識しましたか。

 「(3・11後の)移住早々から何を撮ろうというテーマもなく、今まで通り日常の中で常にカメラを持ち歩いていて。気になったときや撮りたいなと思ったときに撮るスタイルでやっていました。後から検分したら、色や光に反応した写真が心に引っかかって。風景写真集自体が初めてなんですけど、大げさに言えば、自分の内面寄りの写真集になったかと思います」

―風景を撮るときと人物を撮るときとで違いはありますか。

 「撮るときの意識として、自分を出そうか、そうでないかで出方が違ってきますね。今回は前もって『自分が見た沖縄を撮ろう』とか、逆に『まんまの美しさを出そう』とかの準備は全くなくて。ある意味、真っ白に、空っぽにしながら撮っていった。出てきた物は図らずも自分の心が反応したものと言うか、沖縄の中でもここを選んで切り取って出すという『個人的な視線』という感じでした」

 「先日、銀座のキャノンギャラリーで移動展をやったときに、『小さい頃のことを思い出す』って言ってくれる沖縄出身の人がいて。子どもって全体で見ていなくて、海でも波頭だけ見ているとか、そういう感じだと思うんですよ。自分の視点の感じに似ている感想を言ってくれる人がいました。写真集としてまとめてみると、すごく『凝視している』というか。漠然とすべてを見て『あ、きれいだな』というよりも、ポイントがはっきりしている感じがする」

 「移住して6年目の年にこれを作らせてもらった。ぷらっと来た人よりも沖縄を見て、感じているし。でも、沖縄に生まれ育った人に比べると何も見えていないに等しい。ちょうど中間の感じですね」

自分はやっぱり「流れ者」
―雑誌の対談記事の中で「沖縄の人になれるわけでもないし、なろうとも思わない」と語っていました。

 「自分は本質的にぶらぶらする人間なんだと思う。カメラマンという存在がそうかもしれないけど、報告者というか。どこかに行ってそこで得たものを違う土地に運んで伝える。それは自分のキャラにも合っている」

 「仮に沖縄に今後、一生住んだとしても、自分はやっぱり流れ者というか、外部からの目撃者として見ていくんだと思う。よく言うんだけど、アウェーの状態が好きなんですよね。常に誰も自分を知らないでいてほしいという感覚があって。その土地に対して、愛もなければ思い入れもないということでは、全くないんですけどね」

沖縄にしかない「祈りの雰囲気」
―土地に根付いてというよりは、漂流者のタイプですか。

 「好むと好まざるとではなく、自分はそうしかならないというのがあって。沖縄に移り住んだのも、3・11の避難として沖縄に来ているから、その土地と関わりたいという明確なものではなかった。でも、沖縄にしかない『祈りの雰囲気』にはすごく影響を受けた。ブックオフなどに行っても、スピリチュアルのコーナーの充実ぶりが自分が住んでいた神奈川の店舗とは違っていた。沖縄に住む人はそういうものに対する裾野が広いんだなと実感しました」

 「東京を軸にした生活だと、内地の経済の中心の中でぐるぐる回ることがあるんで、そこに対して、スピンアウトしたいという気持ちがあった。今回の写真集『あおあお』が一つの自分の中での新たなスタートな気がして。沖縄に5、6年住ませてもらった決算というよりも、スタート地点を描けたなという気がします」

基地は写っていない
―写真集には米軍基地が写っていません。沖縄で写真を撮るときに基地が写っていないと『沖縄を撮ってることにならない』という意見もあります。

 「『そこに沖縄は写っていないですよね』ってね。特に内地から来たカメラマンにはそういう目は厳しいかもしれない」

 「どうしても目に見える境界線、例えば、国境や県境を軸に内側とか外側っていう話や政治についての話は消せないけれども。少なくとも美しさや幸せに向かう心は、そういうものから自由になって反応していきたい。沖縄で撮ったから沖縄にしかない一瞬であることは間違いないのだけれども。沖縄写真集というのはあえて付けなかったし、付ける必要も無いなと思いました」

反戦というより「平和への祈り」
 「政治も宗教もみんなが幸せでありますように、というところに向かってるはず。そういうものをきちんと形にしていく作業って、意外と提出しづらかったりする。自分はをこれからも、目の前の先にあるものにきちんと視線が届くような、きっかけになるようなものづくりをしていきたいんですよね」

 「沖縄のさまざまな問題があって、それをまったく知らないで暮らせるわけではないし、新聞の見出しからも伝わってくる。目指すところが一緒でも方法は違ってもいいなと。『反戦』と『平和への祈り』って同じなのかもしれないけど、もし自分が言葉を使うのであれば『平和への祈り』という言葉を使いたいなって。その選び方に賛否両論あるでしょうけど」

沖縄に導かれ、瞬間を撮った「神様写真集」
―『反戦』も『平和への祈り』も目指すところは同じだということですか。

 「本当にどっちも大切だと思うんですよね。戦いばっかりだったらやっぱ疲れちゃうし、平和ばっかりやってたら、現実が分からなくなってしまうし。両方おろそかにできないなって。自分が自然に撮っていて、できたものはこういうものだったので。『ああ、こういうのが自分の領分なんだ』って」

―東京で暮らしてたときと沖縄に移ってからで撮るものは変わりましたか。

 「沖縄の祭祀というか、神様に対して漂う空気感には、すごく影響されました。光と色とか波が砕けるところをずっと見ていると、ここには水の神様とか何かがあって、何か二つの柔らかい存在と堅い存在がぶつかって何かが生まれてそうみたいな感じで見ていて。そこには、ある意味、祈りの場が感じられて、そこに思わず手を合わせてしまうというか。沖縄に導かれて、その瞬間を撮らせていただいたっていうのがこの写真集です。ある意味で、神様写真集でもあります」

(聞き手・当銘寿夫)


〈 編集後記 〉

 「魔法使いみたいに女の人をきれいに撮るなー」。高校生のころ、ある女優が20歳になった記念に出版した写真集を立ち読みしていて、思わず撮影者の名を探した。記憶に間違いがなければ、人生で初めての行為だったと思う。男性とも女性とも判断がつかない名前を見つけた。その後、気になる写真を見つけては、その人の名前が添えられていることに気づいた。それから11年後、住まいの近くに雑貨店が開店する。オープン企画は写真家の個展。その人の名に再会した。雑貨店の店主を通して、知り合いになり、今回取材することになった。取材している間、長年ファンだったことも忘れ、ぶしつけな質問もした。1時間の取材を終えた帰り道、取材モードから日常モードにシフトしていくうちにふと気付いた。「写真家としての秘密を聞いてしまった」。少し鼓動が速くなった。最初にその名前に出会ってから16年、彼の魔法は今もまだ解けていない。

(当銘)

琉球新報社

最終更新:9月7日(水)16時0分

琉球新報