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カープV歓喜の瞬間心待ちの2人 応援歌作詞の有馬さんと元選手の守岡さん

山陽新聞デジタル 9月7日(水)0時10分配信

 1991年以来25年ぶりのリーグ優勝に向け、秒読みに入ったプロ野球・広島カープ。75年から歌い継がれる球団応援歌「それ行けカープ」を作詞した有馬三恵子さん(千葉県市原市)、同年のリーグ初制覇を選手として経験した守岡茂樹さん(63)=広島市南区、岡山東商高出=は、低迷期にもナインを支え続けたファンの温かさを肌で感じてきた。2人は今、そんな「カープ愛」をかみしめながら、歓喜の瞬間を心待ちにしている。

 ♪カープ、カープ、カープ広島、広島カープ

 カープの本拠地マツダスタジアム(広島市南区)。七回表を終えると、巨大スクリーンには球団歌の歌詞が映し出され、威勢のいいリズムが響き始める。ファンはジェット風船の赤色でスタンドを染め、大合唱するのがおなじみの光景だ。

 作詞した有馬さんは「小指の想(おも)い出」「17才」など昭和を代表するヒット作を多数手掛けた作詞家。広島市出身の雑誌「酒」編集長佐々木久子さん(故人)に誘われ、佐々木さんが在京文化人らと立ち上げた「広島カープを優勝させる会」に入会した縁で75年シーズン初め、レコード会社から依頼を受けた。

 当の球団はリーグ初参戦した50年以降、優勝経験がなく、74年までは3年連続で最下位に沈んでいた。「ひ弱に見える男たちこそ応援したくなるもの。力を貸すことができないかと思うと、励ます言葉があふれてきた」と有馬さん。歌詞には2番に<勝ちにいくのが 選ばれし者の運命(さだめ)>とのフレーズを盛り込み、プロ選手としての自覚を求めたという。

 球団歌は作曲家の宮崎尚志さん(故人)が曲を付け、首位争いを演じていた75年夏に完成。チームは同年10月15日、当時の後楽園球場(東京)での巨人戦で初優勝を決めた。「選手たちは『あの歌で勝てた』と言ってくれた。『それ行けカープ』は私の一番の宝物」と有馬さん。

 「球団を応援する歌は選手として本当に心強かった」。守岡さんはそう振り返る。外野手として岡山東商高からドラフト7位で入団し、主に左の代打で活躍。プロ5年目で迎えた初優勝のその瞬間は、ベンチからグラウンドへ飛び出した。

 長い低迷から「お荷物球団」と呼ばれた時代。当時は痛烈な広島弁のやじを飛ばすことでも知られたカープファンだが、広島市中心部の平和大通りでの優勝パレードでは約30万人が沿道を埋めたという。

 初の日本一となった79年に引退した守岡さん。「カープファンの厳しさは純粋さの裏返し。野球人生で一番幸せだったあのパレードの光景をもう一度見たい」と期待に胸を膨らませている。

最終更新:9月7日(水)17時6分

山陽新聞デジタル