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活動25周年・TAKUYAが振り返るキャリア~JUDY AND MARY解散から時代に先駆けたスタジオ構築、現在まで

SENSORS 9/7(水) 10:00配信

メジャーデビューから25周年を迎えたギタリスト・TAKUYA。25周年を記念し、そのキャリアを自らの言葉で振り返って頂く。今回は2001年のJUDY AND MARY解散から、福岡でのスタジオ建設計画などの現在に至るまで。

【元記事】SENSORS:活動25周年・TAKUYAが振り返るキャリア~JUDY AND MARY解散から時代に先駆けたスタジオ構築、現在まで

記事「デヴィッド・ボウイ トリビュート&自身の活動25周年--ギタリスト・TAKUYAのルーツをたどるライブが2ヶ月連続で開催」でも取り上げた通り、TAKUYA(以下「T」)の25周年記念ライブ「TAKUYA 25th Anniversary Concert (and Birthday Bash!)」は、9月9日(金) 渋谷 CLUB QUATTROにて行われる。

■JUDY AND MARY 解散を決めた理由

--制作環境も変化していく頃、JUDY AND MARYの解散(2001年)もありましたが、人気も絶頂の中でどのように決断をしたのでしょうか?

T:それまでは“非の打ち所もないジュディマリ“でしたが、ある程度お金も出来て、年齢もそれぞれ違うから、これからどう生きていくかを考えますよね。それ以上活動出来なくはなかったけど、もうずっと一緒にやっていたので。それで一旦東京ドームでライブをやって、活動休止しました。

--なるほど。それは2001年より前の時(1998年)ですよね?

T:そうですね。あと2~3年活動休止していたら事情は変わったかもしれないですが、そうずっと休むわけにもいかないですし。再始動するとしてもどうしてもテンションが合わないので、ならばあとは「解散に向けて」というテンションで足並みを合わせることになりました。

--それが2000年、2001年頃。

T:ゆるく活動してジュディマリのブランドがなぁなぁになってもね、とも思っていたので。そこはメンバー全員プライドも誇りもありましたから。そのままで終わらせるという道を選びました。
学生時代の仲間とかじゃなく、元々みんな趣味もバラバラで、公太さんにせよ恩ちゃんにせよ何度目かのデビュー。僕もバンドでいうと2つめ。売れないとどうしようもないよね、という全員の共通認識でやってきて、売れて東京ドームまで出来て、頑張ってきたらもう目標は達成したよねと。

--解散という締めくくりに向けてやっていこうという。

T:最後のアルバムはちょっと俺のわがままに付き合ってもらったかな、とも思います。けれど6枚アルバムがあって1枚目は全部恩ちゃんの曲、最後は僕ので、お互い貢献した同士でいいんじゃないかな、って個人的には思っています(笑)。

--「佐久間さんを意識しだしたのは、佐久間さんと仕事での関わりがなくなってから」ということですが、それは2001年のJUDY AND MARY解散後ということになるのでしょうか?

T:ジュディマリの時はメンバーが決まっていたのでやりやすかったですが、全然そうじゃないコンテンツをやる時は、メンバーは誰を選ぶか、どういうスケジュールでどんな作業をするかなど、何が必要だろうと考えている時に、初めて「佐久間さんはどうやってたっけな」と考えました。その頃はジュディマリの中期とかのCDよく聴いてましたね。「一体、佐久間正英は僕らに何をやっていたんだろう」と。

--佐久間さんからは助言などはあったんですか?

T:ないです(笑)。プロデューサーという立場になれば、同じ職業のライバルですからね。けど佐久間さんの晩年は逆に認めてもらって、いちミュージシャン、いちプロデューサーの立場を通り越して話せたかなと思います。

--そこが切り替わったのは、どういう時ですか?

T:佐久間さんの還暦ライブにギターを弾きに行ったのがすごく久しぶりに会う機会で、その時に、一緒に飲みに行く機会がありました。ちょうどその時THE NAMPA BOYSというバンドをプロデュースしていて自分でも手応えがあったんですが、佐久間さんも聴いてくれていて「これめっちゃ音いいね、どうやってんの」って聞いてくれたんです。そこからだんだん話すようになって、“仲間入り“出来たかなと思いました。それで晩年に僕のことをブログに書いてくれたり、スタジオの話をしたり...。でもあまり時間がなくて(佐久間さんは2014年に逝去)、生きてたらもうちょっと手伝ってもらってたかなと思っています。

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最終更新:9/7(水) 10:00

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