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活動25周年・TAKUYAが振り返るキャリア~完成した瞬間、達成感が凄かった「Over Drive」

SENSORS 9/7(水) 10:00配信

メジャーデビューから25周年を迎えたギタリスト・TAKUYA。25周年を記念し、そのキャリアを自らの言葉で振り返って頂く。今回は25年前から、JUDY AND MARYの一員として多忙を極めた90年代後半まで。

【元記事】SENSORS:活動25周年・TAKUYAが振り返るキャリア~完成した瞬間、達成感が凄かった「Over Drive」

記事「デヴィッド・ボウイ トリビュート&自身の活動25周年--ギタリスト・TAKUYAのルーツをたどるライブが2ヶ月連続で開催」でも取り上げた通り、TAKUYA(以下「T」)の25周年記念ライブ「TAKUYA 25th Anniversary Concert (and Birthday Bash!)」は、9月9日(金) 渋谷 CLUB QUATTROにて行われる。

■25年前から、1995年「Over Drive」の頃

--まず25周年ということで、25年前・1991年...当時はどのような活動をされていたのか伺えますか?

T:SKAFUNK(スカンク)という、インディーズでアルバムを2枚出していてまあまあ有名だったバンドが、メジャーデビューの時にギターの人が抜けることになり僕が入ることになった。それが、25年前の頃です。
その一年前、1990年の9月9日、19歳の誕生日を明大前のワンルームで迎えたんですが、10代のうちにデビューしようとずっと頑張ってきたものの「ああ、10代もあと一年か。これは俺の夢叶わないな」と思って落ち込んでいたんです。そしたら、10月にSKAFUNKからまさかの連絡がきて、その翌年(1991年)にデビューが決まったんですね。

--JUDY AND MARYへの加入は1993年ですよね。当時の経緯についても改めて聞かせて頂けますか?

T:SKAFUNKでデビューする前、それまではどっちかというとビジュアルバンド系の世界にいましたが、(SKAFUNKでは)全然違う新宿ロフト系みたいなものに飛び込んでいくことになりました。SKAFUNKは活動期間1年半くらいですぐ終わっちゃったんですが、「TAKUYA、やる気あるし面白いギター弾くよね」と、だんだんと僕個人の存在を世間や業界の人に知ってもらえるようになったんですね。でも解散後、またプー太郎みたいな生活に戻ることになり...。そんな時に、SKAFUNKにも関わっていたソニーのスタッフがギターを募集しているJUDY AND MARYを紹介してくれたんです。

--すでに他のお三方は決まっていて。また違うジャンルのギターを弾くことになったんですね。

T:そうですね。ジュディマリもSKAFUNKの時と全く一緒で、ジャンルが今までと違うんだけれどもまずは吸収しようと思いました。元々若い頃から、人の曲をまずコピーするところから作曲やアレンジのスキルを学んでいたので。何度も何十曲もやって。

--JUDY AND MARYでも徐々にソングライティングを担われるようになっていきましたよね。

T:確か1995、6年位のときに、色んな人の作曲やこだわり、コード進行などのパズルの組み合わせ方が分かってきました。たいていの作曲家の人が行き詰まる理由は、アイデアはあるものの、それを最終的に歌い終わるまでのドラマとして3分~4分のパッケージに出来ないことだったり、サビだけ思いついても、Aメロ・Bメロがいい感じにならないことだったり。そういう「一曲という長さで作曲する」コツが分かってきたのと、色んなコード進行のヒント、使い方が分かってきたんですよね。

--その頃といえば「Over Drive」(1995年)がヒットしましたね。

T:あの曲はもうホントに、できた瞬間に「やった」と思って、嬉しくてそのまま夜中なのに公園に散歩しに出たのを覚えています。達成感がすごくて「これは半端ないのが出来た」って思いましたね。

--ということは、その後のヒットも予想通りでした?

T:いや。とはいえあの頃、俺はサブ要員みたいな感じで、期待はされていなかったので。CMソングのコンペに色々出した中で、誰もこの曲にはなるだろうとは思っていなかったんですが、ある日「この曲になりました」と。俺もむしろ「俺の曲がCMソング?」と一番驚きましたね。

--TAKUYAさんといえばプロデューサー・佐久間正英さんとの師弟関係が有名ですよね。佐久間さんがTAKUYAさんの才能を引き出していこうと動いていくようになったのは、いつ頃だったのでしょうか?

T:うーん、佐久間さんは最初からまあまあ見抜いてくれていたと思うんですが、時期でいうと、多分三枚目の頃です。

--「MIRACLE DIVING」(1995年)の頃ですかね。

T:15歳くらいからこの弾き方・芸風は思いついていたんです。でも、若い頃は勢いがあっても全然へたくそだったので「そんなに動き回らないでいいからちゃんとギターを弾け」と周囲からは言われることが多かったんです。「それはちょっとダメだろ」「やりすぎだろ」と。佐久間さんがすごいのが、いろんなやり方とか機材だったりとか、色んなものを駆使して個性をちゃんと商業音楽にパッケージしてくれること。佐久間さんが指導してくれたり、直してくれたりして、奇抜なアイデアと商業音楽の抜け道がちゃんとあるんだなと気づいたのがその頃です。4枚目(「THE POWER SOURCE」)位まではコード進行も大分直してくれていました。

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最終更新:9/7(水) 10:00

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