ここから本文です

日本におけるオンライン証券の歴史 三根公博・マネックス証券執行役員

ZUU online 9/8(木) 16:10配信

今回は、閑話休題。日本におけるオンライン証券の歴史を振り返ってみようと思う。
振り返ることで、何か見えてくるものがあるかもしれない。

■米国での歴史と日本での誕生

●1 米国での歴史

まず、日本に先立ち米国のオンライン証券の歴史を確認する。米国で株式委託手数料が自由化されたのは、1975年5月1日(メーデー)である。その後、チャールズシュワブ、DLJ(donaldson, Lufkin & Jenrette)などのディスカウントブローカーが台頭し、インターネットの普及と共に勢力を増していった。

●2 胎生期は金融ビッグバン

日本でのオンライン証券誕生の背景として、90年代金融危機が挙げられる。
1980年代末のバブル経済が崩壊し、1995年8月に兵庫銀行が破たん(戦後初の銀行破たん)し、97年11月に三洋証券が破たん(戦後初の証券会社破たん)した。なお同月は、17日に北海道拓殖銀行、24日に山一証券と日本有数の金融機関が続々破たんした。

翌98年10月に日本長期信用銀行、12月には日本債券信用銀行が破たんし、日本の金融危機は頂点に達した。

これと並行して、橋本龍太郎内閣の下で進められていた「金融ビッグバン」構想により、金融システム改革が進められ、その一つとして、徐々に進められていた株式委託手数料の自由化が99年10月1日に完全に自由化された。

また2001年にソフトバンクBBがADSLモデムを無料配布するなどインターネット定額制が普及し始め、ブロードバンドが広く使われ始めたのも、日本におけるオンライン証券の胎生を後押しした。

なお日本におけるオンライン証券サービスの最初は、大和証券が96年8月に提供開始した「ダイワのオンライントレード」であるが、オンラインを含む非対面取引(営業マンを介さない取引)専業に業態転換を行った最初の証券会社は、松井証券である。

●3 誕生期はITバブル

日本のオンライン証券の誕生期は、いわゆるITバブルの時期であった。
楽天のジャスダック公開は2000年。光通信の時価総額はピーク時に7兆円、ソフトバンクの時価総額は21兆円とトヨタ自動車のそれを超えていた。

その時期に、オンライン証券は、DLJディレクト SFG証券、シュワブ東京海上証券などの外資系証券や、マネックス証券、イー・ウイング証券、日本オンライン証券などの本邦系証券の設立が相次いだ。

しかしITバブルは崩壊した。その際の光通信の2000年3月から4月にかけての20営業日連続ストップ安は、東証一部の過去最長記録としてでまだ破られていない。
オンライン証券も、新規参入組は次々撤退・合併した。DLJ ディレクトSFG証券は楽天が買収し現在の楽天証券となり、イー・ウイング証券と日本オンライン証券が合併し、現在のカブドットコム証券となっている。

■幼児期から大人の階段まで

●4 幼児期はルール作り

オンライン証券の幼児期は、そもそもインターネットどころか、日本にはまだパソコンすら十分に普及していない時期であった。

「パソコンで株を買う」という行為を、金融庁・財務局・証券取引等監視委員会などの検査の際には、オンライン証券各社は、いちから検査官に説明した。

システム障害時の、金融庁・東証・日証協など監督当局への報告事項・報告方法、顧客への対応方法なども、大きな障害が発生する都度、各社が考えていった。
システム監査についても、オンライン証券のシステム構成に最適化された手法を、監査法人・コンサルティング会社などと共同で考えていった。

2004年の本人確認法の施行前に、非対面取引の郵便での本人確認方法を、監督当局とまっさらから試行錯誤で考えていった。顧客の不公正な取引を発見する売買審査の手法も、オンライン取引ならではの発注方法の発見・対処などを、各社手探りで行ってきた。

上述のように、オンライン証券の幼児期(黎明期)には、各社は監督当局と協働しながら、また各社が共同して日本におけるオンライン証券のレギュレーションを作ってきた。

金融サービスは「目に見えない」サービスであり、「ルール」そのものがサービスであり、品質でもある。

新しい技術が出てきて新しい取引手法が可能になったとしても、「ルール」がないと、顧客が安心して取引を行うことができないし、事業者側も継続してサービスを提供することができない。技術と同様に、場合によっては技術以上に、「ルール」作りが大事なのである。

●5 児童期はIPOバブル

ITバブル崩壊を乗り越え、2003年夏からマーケットは回復した。
そこへ登場したのが、真打ちホリエモン。東証の売買も史上空前の活況を迎え、システムトラブルによる05年11月の前場半休、同12月のジェイコムに対する誤発注など、大いに盛り上がりを見せた。
06年1月のライブドアへの強制捜査で株式市場はピークを過ぎたが、時代は06年のIPOバブルを迎える。

07年夏の、BNPパリバショック(ミューチュアル・ファンドの解約凍結)の際には、日本ではサブプライムローンの影響はあまり感じられなかったが、翌年とんでもないことになる。

●6 反抗期はリーマンショック

そしてご存じリーマンショック(08年9月)がやってくる。

その前年、07年9月に金融商品取引法が施行され、各種金融商品に関連する法令が統合され、08年3月に従来の本人確認法が犯罪収益移転防止法に代わるなど各種法制度が変更されたが、もちろんリーマンショックに対抗する力などない。

これ以後、しばらく冬の時代が続き、ようやく日本経済が盛り返してきたかに思えた2011年3月には東日本大震災が発生し、さらに苦しい時期が続いた。

●7 青年期は黒田バズーカ

苦しい反抗期のあとは、伸び盛りの青年期である。

アベノミクス(12年12月~)がやってきたと思ったら、黒田バズーカ(13年4月)の援護射撃が続いた。ほぼ7年ぶりのイケイケモードに、証券業界が沸き立った時期であった。
そしてこの頃、MoneyFoward、freee、ZUUなど、現在のFinTechの旗手達も、産声を上げていた。

●8 大人への階段はFinTech

「三菱東京UFJ銀行、仮想通貨始めるってよ」
「LINE、上場するってよ」
「デジタル日銀券、出るかもってよ」
「JPX、ブロックチェーンやるかもってよ」
「おサイフケータイ、iPhoneで使えるかもってよ」

オンライン証券が大人になる頃に、FinTechがやってきた。

しかし、オンライン証券は元祖(本家?本舗?)FinTechである。新しい技術を、その時々の人々・社会の動向に合わせて必要であればルール作りをしながら取り入れ、適宜方向変更しながら進んでいくだけのことである。

今後も、新しい技術動向に新しい名前が付けられることはあるだろうが、我々は黙々と前に進んで行こう。

三根公博、マネックス証券執行役員(FinTech online編集部)

最終更新:9/8(木) 16:10

ZUU online

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。