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そもそも、なぜスポーツイベントで国歌が演奏されるのか

ITmedia ビジネスオンライン 9/8(木) 7:37配信

 いま米国で、あるアスリートの行動が物議を醸している。

 アメリカンフットボールの人気チーム、サンフランシスコ・フォーティナイナーズ(49ers)のコリン・キャパニック選手が8月26日、試合前の国歌演奏時に起立しなかった。キャパニックは試合後に国家斉唱に起立しなかったことを認めて、「黒人や有色人種を差別する国の国旗に誇りを示すための起立はしない。私にとって、この問題はアメフトよりも大きいし、自己中心的に見て見ぬ振りをすることはしたくない」とコメントした。

【「国歌演奏は必要なの?」という声も】

 この言動について全米では賛否の意見が噴出し、スポーツと国歌の問題を超えた大きな議論に発展している。

 日本でもリオ五輪に際して、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が「公式行事では君が代を斉唱すること」と日本オリンピック委員会(JOC)に要請していたことが話題になったが、世界的にも国歌というのは議論を呼びやすい。五輪や国際試合に、国歌を演奏するのは理解できる。国同士がぶつかり合うからだ。

 だが最近では日本のプロ野球をはじめ国内リーグの試合などでも国歌演奏が行われている。キャパニックがプレーするアメフトも国内リーグであるが、米国内のスポーツイベントでも必ずといっていいほど試合前に国歌が流されている。そもそも、なぜスポーツイベントでは国歌が演奏されなければならないのか。

 米国内のスポーツイベントで国歌が流れるようになったのは、1918年のことだ。野球のワールドシリーズの第1戦、7回に行われた国歌斉唱が最初である。実のところ当時は米国が世界で戦っていた第1次大戦の終結間近であり、戦闘で数多くの若い米国民が死亡していたことで愛国心が高まっていたために、人の集まるスポーツイベントで国歌が流された。

 それから第2次大戦や911同時多発テロで独唱なども定着し、また、いろいろなスポーツイベントに拡大し、この慣例は100年ほど続いてきた。そういう歴史的な背景から、今では米国文化のひとつと言えるほどに浸透している。米国では、野球のメジャーリーグから大学のスポーツトーナメントまでほとんどの試合で国歌演奏を行うが、そんな国は世界を見てもまれではないだろうか。

●米国ならではの問題

 米国には国歌演奏に関する公式な「エチケット」が存在する。1942年に法制化された米国旗と国歌にまつわる法律だ。その「国旗規範」によれば、国歌斉唱時、すべての人は起立しなければならない。一般人は国旗に向き、右手を心臓の位置に添えて、直立の姿勢で立つように決められている。帽子などを被っていれば脱ぎ、右手で帽子を左肩あたりに置くように持つことで手は心臓の位置にいく。国旗がない場合は、演奏者に向けて、国旗に向くのと同じように行動する必要がある。また国歌演奏の間、制服を着た軍人と元軍人は敬礼を続けなければならない。

 ただこれは、罰則を伴うようなルールではない。また、米国では起立を「拒否」する権利も保障されている。だが、米国のスポーツイベントに参加したことのある人なら分かる通り、このエチケットは基本的にほとんどの人が守っている。

 そんな状況の米国で話題になっているキャパニックのケースでは、その背景に米国ならではの問題がある。人種問題である。というのも、以前このコラムでも紹介したが、近年、全米各地で黒人が警官に銃殺される事件が続いているからだ。

 2014年7月にはニューヨーク州で43歳の黒人男性が白人警官に拘束されて窒息死したビデオが暴露され、各地でデモが発生。また同年8月にはミズーリ州ファーガソンで18歳の黒人男性が白人警官に射殺されてその後1週間近く暴動に発展した。2015年にはメリーランド州ボルチモアで護送中に黒人男性が死亡し、6人の警官が処分され、暴動に発展している。2016年には、ルイジアナ州バトンルージュの駐車場で拘束された黒人男性が白人警官に射殺される事件が発生し、ミネソタ州セントポールでは黒人男性の運転するクルマが警官に止められ、男性は運転席で射殺された。

 こうした事件に対して、多くの有名アスリートが声を上げている。例えば7月に行われたスポーツイベントでも、プロ・バスケットボールの黒人スター選手であるドウェイン・ウェイドやレブロン・ジェームズなどが、暴力を止めて社会変化をもたらすよう主張した。今回のキャパニックによる起立拒否も、黒人に対する扱いについての「Black Lives Matter(黒人の命も大事)」という運動の流れだと言える。

●国歌演奏は必要なのかという声も

 キャパニックの行動には、賛同する動きも出ている。騒動後には49ersのチームメイトがキャパニックに同調して国家斉唱で起立しなかったり、シアトル・シーホークスの黒人選手が起立しないというニュースもあった。また彼の言動を支持する署名活動も行われている。

 ちなみに暴言がウリの米大統領選の共和党指名候補ドナルド・トランプはすぐに、「彼(キャパニック)は、やりたいようにできる国を他に探すべきだ」と言い、国歌演奏の起立が嫌なら国から出ていくべきだと噛みついている。

 キャパニックの件から、そもそも国内のスポーツイベントに国歌演奏は必要なのかという声も上がっている。もう米国は世界大戦を戦っているわけではないし、同時多発テロのような全米を大きく動揺させる攻撃によって愛国心を確認し合わなければならないわけでもない。

 もっとも、現在では軍人のように国のために働く人たちに向けてリスペクトを示す意味合いが強くなっているようだ。だがスポーツイベントで国歌演奏を止めてしまえば、今回のキャパニックのような政治的なメッセージがからむ騒動も起きないだろう。国歌を流すこと自体が、政治的なメッセージだという見方もある。ならば、止めてしまったほうが皆にとってフェアではないか、と。

 ただ日本からこうした米国の議論を見ていると、スポーツイベントの国歌演奏については今日まで刻まれてきた必然的な背景があり、その上でさまざまな議論が行われていることは建設的であると感じてしまう。

●何のために行われているのか

 では、日本の場合はどうか。日本の国内スポーツリーグなどで国歌斉唱が広く行われるようになったのは比較的最近のことだ。例えば日本のプロ野球でも国歌を流すチームも多いようで、その際には試合前の国歌演奏に起立を促すとも聞く。

 ただ純粋な疑問が湧く。いったい何のために行われているのか? その答えは、実のところ、よく分からない。

 そこで日本のプロ野球を統括する日本野球機構(NPB)に取材すると、「公式戦の興行はすべて各球団に任せているために、国歌の演奏などは日本野球機構としてはノータッチです。すべて各球団の判断です」と言う。

 プロ野球など長年スポーツを取材しているベテラン記者に話を聞くと、ここ10年ほどで増えてきた国歌演奏について、「現場でも違和感をもっている人が多い」そうだ。なぜ流すようになったのかよく分からないからだという。

 要するに、現実には大した深い意味はないのではないか。少なくとも、米国のような歴史的な側面はなさそうだ。話題のタレントなどに国歌を歌わせることで集客したいという意図なのかもしれないし、衛星テレビやインターネットで身近になった米国のスポーツイベントでよく見かけて、何となくかっこいいから真似してみようというノリで始まった可能性も十分にある。

 日本では1999年に国旗・国歌法という法律が制定されている。それによれば、日章旗を国旗とし、「君が代」を国歌と定めている。だが基本的に政府は、「掲揚、斉唱の義務づけは考えていない」としている。また米国のように、特に国歌斉唱時のルールのようなものも規定されていない。

 著者は国歌の演奏に反対しているわけではない。純粋に国民の暮らしにアイデンティティが根付き、国歌が国民にも溶け込んで、それが大勢の集まるイベントで歌われたり、流されるのなら理解できる(それなら米国のように、ほとんどのチームやリーグが導入すべきである)。またそれを目指しているというなら分からなくはない。国旗を背負って戦っている国際的なイベントなら国歌演奏は意味がある。

 ただ日本の国内リーグが客寄せに使ったり、かっこいいからなんて理由でやっているのだとしたら……そう思うと、日本が心配になってしまうのは著者だけではあるまい。

(山田敏弘)

最終更新:9/8(木) 12:53

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