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リオ超人烈伝「探し続けた存在意義」 ~車椅子バスケットボール・永田裕幸~

カンパラプレス 9/8(木) 11:00配信

 2013年11月に初めて日本代表として国際大会の舞台を踏んだ永田裕幸は、それ以降、日本代表候補の常連となった。2014年には代表12人に入り、世界選手権、アジアパラ競技大会に出場した。だが、永田には代表チームにおける自分の存在意義が確立されていないことに、人知れず悩んでいた――。

見失いかけた自分自身

「果たして、自分には何ができるのだろうか」
 永田が自分の役割を模索する中、彼のライバルとして急速に台頭してきたのが、当時高校1年生の鳥海連志だ。技術的にはまだ粗削りな部分はあるものの、スピードやハンドリングにおいては、代表の中でもトップクラス。その鳥海は、永田と同じ持ち点の選手だった。また一人、ライバルが出現したのだ。

「豊島(英)、藤澤(潔)、そして鳥海と、同じ持ち点の選手たちはみんな、それぞれ強みがある。オレにはいったい、何があるのか……」
 悔しさ、焦り、不安に襲われながら、永田は自分の強みを模索する日々を過ごしていた。

 ようやく答えを見つけることができたのは、2015年8月の代表候補合宿でのことだった。それは約2か月後、リオデジャネイロパラリンピックの出場権をかけて行われるアジアオセアニアチャンピオンシップ(AOZ)のメンバー入りを目指して、選手たちの最後のアピールの場でもあった。

 まさに崖っぷちに立たされた思いで、その合宿に臨んだ永田は、もう一度自分を見つめ直した。
「自分の最大の強みは、カットインプレーとトランジションの速さ。だったら、それをアピールしていくしかない」
 ライバルたちの存在を気にしすぎるあまり、永田は自分自身を見失いかけていたことに気づいたのだ。

 すると、合宿終盤に行われた練習試合では、相手の隙を付いて積極的にゴール下に切り込む永田の姿があった。そんな永田のプレーを、周囲も高く評価していた。

 永田は言う。
「あの合宿の頃が、一番辛い時期でした。若い鳥海が出てきて、かなりやばいなと感じていたんです。でも、だからこそ、自分がどうすべきかを本気で考えることができました。結果的には、彼の存在がいい刺激になりましたし、自分のレベルアップにもつながったと思っています」

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最終更新:9/11(日) 13:12

カンパラプレス