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リオ超人烈伝「一度は諦めた日本代表。40歳にして挑む初のパラ」 ~車椅子バスケ・石川丈則~

カンパラプレス 9/8(木) 12:01配信

 石川丈則にとって、目標だったはずのパラリンピックは、いつの間にか自分とは無縁の世界となっていた。
「諦め始めたのは、30歳を過ぎたあたりだったかなぁ」
 しかし、人生は何が起きるかわからない。40歳となった今、石川はパラリンピックの舞台に立つ。競技4日目の11日、41歳の誕生日を迎えれば、車椅子バスケ男子では最年長タイ記録、初出場としては史上最年長の記録となる。チーム最年長にして初めて世界最高峰の舞台に挑むこととなった、その道のりを振り返る。

「今さら」と思った初の代表候補入り

 石川が代表候補の強化合宿に招致され始めたのは、2011年4月のことだ。車椅子バスケを始めて12年目、35歳にして、初めてのことだった。

 石川を合宿のメンバーに推したのは、当時日本代表の指揮官を務めていた岩佐義明ヘッドコーチ(HC)だった。

 「1.5点には藤井新悟というゲームメイクに長けた選手がいたのですが、彼とはまた違うタイプの1.5点の選手が欲しいなと思っていました。そんな時、前年の全スポ(全国障害者スポーツ大会)でタケ(石川)を見たんです。正直プレーに雑なところはありましたが、自分でゴールに向かっていく突破力がありましたし、何よりスピードがあった。決して優等生タイプではないのですが、何かやってくれるという期待感が持てる。そういう選手のように思えて、その場で合宿に呼ぶことを決めたんです」

 ところが、石川自身は「正直、呼ばれた嬉しさよりも、『なんで自分が?』という驚きの方が大きかった」という。「今さら」という思いもあり、はじめは断ろうと考えていたという。

 「若い頃は代表を目指していたこともありましたけど、なかなか芽が出ず、そのうち自分がやっている車椅子バスケと、代表とでは違う競技みたいに思えていたんです。それでいつの間にか、代表に対して興味がなくなっていた。だから合宿に呼ばれた時、『今さらオレがいったところで、何の意味があるんだろう』と思ったんです」
 それでも参加を決めた理由は「思い出づくり」。それ以上の気持ちは、その時はなかった。

 実際、合宿に参加してみると、戸惑いしかなかった。普段自分が所属しているチームと代表とでは、石川に求められる役割がまるで違ったことも、石川を困惑させた。
「オレには無理、と思ったので、途中からは好き勝手にやっていた感じでした(笑)」

 ところが、その“好き勝手”が、かえって石川らしさを引き出していたのだろう。岩佐HCも「タケの存在が、チームにいい刺激を与えている」と感じていたという。石川はその後も、強化合宿に呼ばれ、同年10月に行われたロンドンパラリンピックの予選(アジアオセアニアチャンピオンシップ)では、補欠メンバーに選出されるほどになっていた。

 すると、合宿を重ねるにつれて、石川の気持ちも変化していった。
 「だんだんと代表でやっていることがわかり始めると、今まで知らなかったことをやることに面白さを感じ始めました。だから呼ばれる限り、とにかく頑張ってみよう、そう思うようになっていったんです」

 結果的に、2012年ロンドンパラリンピックでは国内待機の補欠メンバーに踏みとどまった。だが、これを機に、石川は代表への道を駆け上がっていったのだ。

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最終更新:9/11(日) 13:07

カンパラプレス