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「敬語なんて必要ない!」な新人にパニック寸前?

ITmedia エンタープライズ 9月9日(金)12時0分配信

 トントン……トントン……。

 何かが私の腕を”トントン”する。ああ、これはネコの前足だ……。

【ホント、猫は気楽よね……】

 トントン。

 まだ眠いのよ。もうちょっと寝てたいなぁ……と思いつつ起き上がる。見ると、枕元にネコが座っている。明らかに「私の朝ごはん、忘れたでしょ!」という恨めしそーな顔つきで。

わたし: あー朝ごはんね……。ハイハイ。

 ネコを飼った経験がない方にとっては、不思議なことに見えるかもしれないが、ネコは結構賢いのだ。私が起きたことを確認すると、ネコはベッドを降りてエサ皿の横に座った。まだ、こっちをにらんでいる。ネコの世界も食べ物の恨みは大きいらしい。私は軽い溜息をつきつつベッドを降り、彼女のエサを皿に入れる。ネコは私の顔を見上げて何かを訴えてから、優雅にエサを食べ始めた。

わたし: ネコと私の間でもコミュニケーションが成り立つのだから、会社の中の世代を超えたコミュニケーションだって成り立つと思うんだけどなぁ……。

 私が言ったことは明らかにおかしい。でも、なぜか新入社員とのコミュニケーションより、ネコとのコミュニケーションのほうがスムーズにできる気がする。それはきっと、ネコとの付き合いに年季が入っているからだろう。なにせ、昔からの付き合いだものね。

 昨日のコミュニケーション研修1日目は、なんとなく消化不良で終わった。そして今日は2日目だ。夕方の上司Aさんの言葉が頭をよぎる。

 「ポイントは2つあると思うよ。1つは、立場や価値観が大きく異なる人とコミュニケーションをとらないといけない、という現実に早く慣れてもらうこと。もう1つは、大多数のビジネスパーソンが『これが正解』と思っているコミュニケーションのとり方を、彼らにマスターしてもらうことだ」

 そうよね。それをどう理解させるかがキモなのよ。押し付けないように、彼らの文化を否定しないように――まあ、とはいえ異星人とのコミュニケーションを学ぶわけじゃない。少なくとも彼らは、テレビドラマや店側スタッフの姿とかを見てきているはず。だから、ちゃんと指導すれば分かってもらえるわよね。問題はそれをどう表現するか、そしてそれを習慣化させるかなのだけど。

 そんなことを考えながら研修室に向かった。

 研修が始まって、身構えていたのはこちらだけだったかもしれないと気が付いた。基本的に彼らは素直なので、やってねって言ったことはやるのよ。社会人としてのコミュニケーションはこうだ、というものをちゃんと受け入れてくれている様子だった。なーんだ……、肩に力を入れる必要はなかったな、と思っていた矢先だった。

新入社員D: 1つ、気になっていることがあるんですけど。

わたし: ん、なに?

新入社員D: なぜ敬語を使わなければならないのでしょうか。

わたし: え……?

●“心がこもっていない”敬語なんて必要ない!

 これには2つのことで思考停止した。1つは、まさかこの時期に敬語の存在意義そのものに関する質問が飛んでくるとは思ってもみなかったこと、もう1つは、敬語の存在意義に疑問を呈しているその人自身が、なぜか敬語を使っているという矛盾。

わたし: ……えっと、どういう意味かしら?

 パニック寸前の私。

新入社員D: 少し前から思っていたんですけど、別に敬語を使わなくても、ちゃんと気持ちがこもっていることのほうが大切じゃないですか?

わたし: ……というと??

 私の脳みそはもう暴走しそうだ。頼むから止まらないでよ……。

新入社員D: えっと、言葉が多少なっていなくても、そこに相手を尊重する気持ちがこもっていることのほうが大切だと思うんです。喋り方とか雰囲気とかで、気持ちがこもっているかどうか分かるじゃないですか。気持ちがこもってない敬語って、かえって腹がたちませんか?

 いかんいかん、これは完全にフリーズだ。脳みそを緊急再起動させなきゃ。えっと……。

わたし: まあ、言いたいことは分かる。

 しまった。うっかり認めちゃったよ……。確かに彼の言うことも一理ある。焦ってヘルプデスクに電話をかけてくる人の中にも、言葉は丁寧だけど、明らかに怒りの感情が入っていたり、こちらに理不尽な要求を突きつけてきたりする人はいるもの。理不尽なことを言っているときの丁寧な言葉使いって、かえって不気味だし、威圧感もある。

 でも「社内講師の人が敬語使わなくていいって言いましたー」なんて言われたら、私の立場がないじゃない。いや、これは言いたいことは分かると受け止めただけ。決して認めたわけじゃないのよ。あああ、まだパニック。落ち着け私。

わたし: えっとね。言いたいことは分かるんだけど……。みんなはどう思う? 気持ちがこもっていれば、敬語じゃなくてもいいと思う人手を挙げてみて。

 ここはブーメランのようにみんなに聞いてみたのだが……ギャー。半数近くが手を挙げているではないか。むしろ、半分をちょっと超えているか?

わたし: じゃあ、気持ちがこもっていないけど、きれいな敬語がいいと思う人はどのくらいいる?

 これは4、5人程度しか手が上がらなかった。

わたし: 手を上げない人はどっちつかず? 悩み中? 分からないのかな?

 手が上がらない人からは、意見らしい意見が出てこない。意見がないのか、どう説明したらいいか分からないのか……そんな中、「気持ちがこもっていれば、敬語じゃなくてもいい派」の1人が口を開いた。

新入社員E: 敬語って、ワサビではないかと。

わたし: はい??

 え、なに? パニックになっている私にワサビ? まさか、私の心の傷口にワサビを練りこもうってんじゃないでしょうね……ってそんなわけないか。

わたし: ワサビってどういうこと……?

●敬語はワサビ?

新入社員E: おすしとか、ざるそばとかの「メイン」があって、ワサビってそれに沿える「メインをよりおいしくするもの」だと考えるとですね……。ワサビだけ食べるってことはないじゃないですか。それと同じだと思うんです。

わたし: はあ……。

新入社員E: つまり、尊重したい気持ちが「メイン」で、そこに尊重の気持ちを込めるのが、ワサビたる敬語だと思うんです。尊重したい気持ちもないのに敬語だけを使うってのは、つまりワサビだけを食べるってことで、意味がないことなのかなと。

 うーん、分かりにくいたとえ。つまり「敬語だけだと意味がない」と言いたいわけね。確かに気持ちは重要だけど、“気持ちを込めた”ということを示すのが敬語なんじゃないかなぁ。

 私自身ちょっと分からなくなってきていた。これがにわか講師の限界か? とはいえ、新入社員たちにそんなことは関係ない。こちらが経験豊富だろうが、なんちゃって講師だろうが、彼らがビジネスの現場で困らないようにしてあげなければ。責任はこちらにある。

わたし: んー。じゃあ、ちょっとみんなに聞くけど、さっきD君が「喋り方や雰囲気で、気持ちがこもっているかどうか分かる」って言ってたよね。みんなはどうかな? 敬語じゃなくても気持ちがこもっているってことを理解できる?

 私のこの問いかけに、新入社員のみんながそれぞれに考え出したのか、それぞれに隣と相談を始めた。いいぞ、このザワザワ感。このまま演習ぽくしてみようかしら。

わたし: 周りの人と4、5人でグループを作って、考えをシェアしてみようか。確かに、気持ちをこめることが大事よね。でも、少々乱暴な言葉でも気持ちがこもっている、ということがちゃんと伝わるかどうか、もし伝わるとしたらそれはなぜなのか、話し合ってみて。

 そんな問いかけをしたら、みんなでいろいろ意見交換を始めた。そして紆余曲折あったけれど、結局「言葉が汚いと、気持ちがこもっていることが伝わりにくい。せっかく気持ちをこめるのだから、それがちゃんと伝わる丁寧な言葉のほうが無難」というような結論に落ち着いた。D君はまだ納得していないみたいだけれど。

 ふぅ。綱渡りだなぁ。でも、落ち着くべきところに落ち着いてよかった。彼らはちゃんと考えればちゃんと分かる、分かってくれるんだよね。みんなで出した答えが功を奏したのか、そのあとのコミュニケーションに関するレクチャーは思いのほか、素直に受け止めてくれた。消化不良気味だった初日の内容も理解してもらえたようだ。結果オーライ。

 そんなこんなで気分良く自宅に帰ると、我が家のネコが、今度は「夕飯をくれにゃぁ」と近寄ってくる。人間には「にゃー」とか「なおぉ~ん」とか多少の泣き方の違いは分かるんだけど、どっちかがネコ語の敬語なのかしらねぇ……。

最終更新:9月9日(金)12時0分

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