ここから本文です

【パラ柔道】日本メダル1号の広瀬誠が「障害は不幸じゃない」と今は思える理由とは

スポーツ報知 9月10日(土)6時4分配信

◆リオデジャネイロ・パラリンピック第2日 ▽柔道男子60キロ級(8日、リオデジャネイロ)

 【リオデジャネイロ(ブラジル)8日=細野友司】視覚障害者による柔道の男子60キロ級で、広瀬誠(39)=愛知県立名古屋盲学校教=が04年アテネ以来3大会ぶり銀メダルを獲得。決勝でウズベキスタン選手に敗れたが、今大会日本勢メダル第1号となった。

 この姿を見せたかった。広瀬は表彰式で、上着の右ポケットから写真を出した。長女・優宇ちゃん(6)、次女・巴恵ちゃん(3)、三女・若奈ちゃん(2)と一緒に柔道着姿で写ったお守り代わりの1枚だ。右手でぐっと掲げた。「(娘の)声援は聞こえていた。子供と妻に支えられた。強いお父さんを見せられて良かった」。独身だった04年大会以来12年ぶり銀。家族にささげられた分、リオでの達成感は大きく、深かった。

 柔道部に在籍していた高校2年時、視神経に異常をきたす難病の「レーベル病」を発症。2・0あった視力はたった2か月で0・01まで落ちた。「できないことが多くなって不便だとか、彼女もできないし不幸だろうと思っていた」。負の感情ばかりが胸を渦巻いた。それでも「組んでしまえば(健常者と)同じようにできるから」と柔道だけは続けた。競技に打ち込むひたむきさが、運命の歯車も好転させた。アテネ大会後、勤務先の特別支援学校の同僚だった里美さんと知り合い結婚。手料理で支えてくれる温かい家庭にも恵まれた。「柔道を通してもいろいろ教えてもらえた。今は、障害は不幸じゃないと思える」と広瀬は強くうなずいた。

 5位だったロンドン大会後に引退を考えたが、大会後に次女と三女が誕生。「大好きなことを一生懸命やることで、人生が豊かになると背中で見せたい」と思い直した。頂点は逃したが、悔いはない。「取り得る最高のメダルだった。今後のことはゆっくり考えたいが、(引退なら)柔道に何か還元できる形になれば。まずは子供と公園で一緒に走り回りたい」とほほ笑んだ。戦い抜いた畳の鬼は、しばらくは父親業に没頭するつもりだ。

 ◆広瀬 誠(ひろせ・まこと)1976年11月22日、愛知・西尾市生まれ。39歳。高校2年時に視神経に異常をきたす難病「レーベル病」を発症。筑波大を経て特別支援学校教員を務めながら競技に取り組み、04年アテネ大会銀メダル。08年北京大会7位、12年ロンドン大会5位。166センチ、63キロ。家族は妻と3女。

最終更新:9月13日(火)0時18分

スポーツ報知

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。