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【ポケモンGOの社会学】公共空間で優先すべきことは?

西日本新聞 9月9日(金)12時16分配信

 7月22日に日本でもリリースされた「ポケモンGO(ゴー)」は、先行して公開されていた海外と同様に大ブームを巻き起こした。同時に、公園で深夜まで人が騒いだり、公共施設などでゲームを禁止するところが出てきたりと、社会的な軋轢(あつれき)も生まれた。ユーザーの動きは落ち着きつつあるとの見方もあるが、いまでもポケモンが現れるスポットでは、多数のユーザーがスマホの画面を見つめている。

 マナーの悪い人がいれば立ち入り禁止になるのは当然だという意見もあるだろうが、公園のような場所は本来「公共空間」と呼ばれ、人びとの自由な活動が許されるのが大前提だ。むろん日本の場合は狭い都市部に人が密集しており、住宅街に公園が隣接するなど、海外とは条件の違うところもあるが、管理者に特定の利用を排除する権限があるという考え方は、公共空間の理念にはなじまない。

 今回のポケモンGOブームを社会学的に見る際に重要なのは、ゲームそのものの問題というよりは、現代社会において他者と公共空間でともに生活することの困難だろう。ある人が緑を眺めに来ている公園に、ポケモンを探しに来た人が大挙して押し寄せたとして、両者はどのようにして共存を図るべきなのだろうか。

目の前の現実よりも情報の空間を優先

 かつてであれば、その場にいる人どうしがお互いに気を使っていれば問題は解決に向かったのかもしれない。しかしながらポケモンGOの場合、問われているのは目の前にある現実と、画面の中に登場しているポケモンのどちらが優先されるべきなのかということだ。というのもユーザーたちにとってはその場所は、ただの公園ではなくポケモンが出現するからこそ価値を帯びている空間だ。つまり、ある場所を「緑の多い公園」だと思っている人と「ポケモンの巣」だと思っている人の間の認識の差が、現実の空間と情報の空間のどちらを優先すべきかという問題を引き起こしている。

 こうした問題はポケモンに限らない。レストランの料理や小学校の運動会などの撮影に夢中になるあまり、本来の意義を失っているような場面が目立つ。もちろんポケモンにせよ料理の撮影にせよ、そこに悪意があるわけではない。だからこそ目の前にある現実と、自分にとってのその場所の価値との間で、どう折り合いをつけるのかが重要になってくる。

 ポケモンGOブームが可視化したのは、公共空間において私たちの多くが、目の前の現実よりも情報の空間を優先するという事実だ。今後の議論は、それを前提にしてしか進めることができないだろう。

鈴木 謙介(すずき・けんすけ)社会学者

 1976年生まれ、福岡市出身。関西学院大学准教授。情報社会や若者の行動を中心に研究する。著書は「ウェブ社会のゆくえ」など多数。

西日本新聞社

最終更新:9月9日(金)12時16分

西日本新聞