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小池都政の待機児童対策を企業が後押し!?独自の取り組みで解消に一役

ニュースイッチ 9/9(金) 19:02配信

ヱスビーは事業所内の保育園を開放。生保業界は保有する駅前ビルを活用

 東京都の小池百合子知事は9日の記者会見で、待機児童解消に向け、都有地などを活用して保育所の整備を進め、保育定員を本年度当初の計画より5000人増やすことを柱とした緊急対策を発表した。行政が本格的に対策へ乗り出す一方で、民間企業も待機児童解消に向け独自の取り組みを加速させている。

 エスビー食品は東京都板橋区にある事業所内保育園「バジリッコ保育園」の定員の一部を、8月1日から板橋区に開放した。共働き世帯増加で、首都圏では保育園に入りたくても入れない待機児童が社会問題化しており、保育園入所希望者が増えている状況に対応した。

 エスビー食品の保育園は2015年4月に開園。同社の研究施設「スパイスセンター」敷地内にあり、会社が終わった後にすぐ迎えに行ける利点がある。女性従業員だけでなく男性従業員の利用も定着し、1日や数日といった一時保育利用ニーズにも対応している。保育時間は7時半―18時半。

 一方で利用人数は12人の定員に対し3、4人にとどまっている。エスビーによると「会社が板橋でも社員は他地域から通うケースが多く、保育園は地元に通わせるのが通例になる」という。

 食品業界ではキユーピーが14年4月に東京都調布市に開園した保育園は最初から地元園児を受け入れている。

<空室対策も課題残る>

 駅周辺の優良地にオフィスビルを多く保有する生命保険会社では、保有ビルの一部を保育所として活用する動きが出ている。待機児童問題をめぐっては保育士の確保と並んで、場所の確保も課題の一つ。生保会社は不動産の空室対策もかねて場所を提供する狙いもある。

 住友生命保険は東京都世田谷区が進める保育所開設に関連する補助事業に手を挙げた。概要は駅前の建物を認可保育園の分園として開設。主に0―2歳の低年齢児を保育し、3歳以上の児童は保育所に隣接する送迎ステーションに集め、保育園の本園にバスで送迎する取り組みだ。

 住生は「宇奈根なごやか園」を運営する社会福祉法人嬉泉と連携し、小田急小田原線成城学園前駅から徒歩数分の保有ビル1階に保育所を開設。低年齢児童20人、本園に送迎する高年齢児童20人を収容する。開設は7月以降の予定だ。

 保育所誘致で最も力を入れるのは第一生命保険。保有する14カ所のビルに保育園を開設し、すでに700人以上の児童が受け入れ可能だ。4月には西武新宿線野方駅から徒歩10分にある第一生命野方ビル(東京都中野区)内に学童保育を併設した新しい認可保育所も開設している。

 生保会社は駅前を中心とする優良地に多くの不動産を保有する。このため、利便性の高い駅周辺の保育所の場所を提供する事業者として期待は大きい。生保側も不動産の空室対策の一環として、保育所を開設する取り組みを進めてきた。

 ただ、実際にはハードルは高い。理由として認可保育園として必要なスペック面の問題がある。給排水設備やバリアフリー化、安全対策として二方向避難所の設置など規制が多く、「こうした条件をクリアできる物件は実際は少ない」(住友生命)。

 さらに実際に保育所を運営するのは社会福祉法人などの運営事業者。事業者側で保育士が確保しにくくなっている上、自治体から認可が下りず、補助金の確保が難しくなれば採算上の問題から保育をそもそも提供できなくなる可能性もある。

 このため、生保側の取り組みは一部の企業にとどまっているのが現状だ。業界団体の生命保険協会も、保育所への補助金を交付する助成事業は展開しているが、「場所の提供はあくまで加盟各社の判断。協会で呼びかけるのは難しい」と話す。

<イオンは47都道府県の店舗内に設置へ>

 首都圏でも企業の取り組みが広がっている。イオンは今春に、グループ事業所内保育施設「イオンゆめみらい保育園」を神奈川県の総合スーパー「イオンスタイル湘南茅ケ崎店」と埼玉県の「イオンレイクタウン」内に開いた。イオンでは2020年までに全国47都道府県に少なくても1カ所以上、店舗などに事業所内保育園を設置する計画。待機児童問題の解消や、従業員が職場に近いところで子供を預けられ働きやすい環境をつくる。

 イオンではすでに千葉の店舗で保育園を開いているが、今回の神奈川県のイオンスタイルに開いた保育園は、イオンリテールが初めて設置主となった。同保育園は定員が21人だが、一部地域住民の利用枠も想定しており、地域の待機児童問題解消にも貢献したい考えだ。

最終更新:9/9(金) 19:02

ニュースイッチ

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