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山下智茂氏、早鞆・大越基監督対談【2】米国行きの理由…日本で野球ができなかった

デイリースポーツ 9月10日(土)13時0分配信

 早鞆の大越基監督(45)が、プロ引退後に高校野球の指導者を目指した理由をデイリースポーツ評論家の山下智茂氏(71)=星稜総監督=に熱く語った。あえて技術論より人間形成に重きを置く姿勢は、元プロとしての理念でもある。また、プロアマの垣根が低くなったことで浮かび上がる課題にも言及した。

  ◇  ◇

 -高校野球の指導者になるまでには長い道のりがあった。教員になってからも当時の規定で2年間は野球に関わらなかった。

 大越基監督(以下、大越)「卓球部の副顧問でした。楽しかったです。野球を離れたことがなかったので。土日休みの感覚が何これって(笑)。あと担任としてクラスを運営するのが楽しくて。この2年間は本当にありがたい2年間だった。プロ野球をクビになって、大学に3年間、教員で2年間教えてはいけない時期があって、なぜ自分がプロで活躍できなかったのかわかった。(その間は)ラグビーとか他の競技の指導者の方の話を聞きたいと思って食事に行ったりとか、本を読む時間も多くとったりできたので」

 -なぜプロで活躍できなかったと。

 大越「バッティングがダメでした(笑)。星稜の村松は同じ外野手でFA権を取るまでのすごい選手になったけど、自分の方が彼より肩は強かったし、足の速さは同じくらいだった。彼がめちゃくちゃ打つかというとそれほど打たない。でも彼は盗塁王のタイトルを獲った。何がそんなに違うのかと。自分は、村松を抜こうとか上を行ってやろうとかいう感覚が薄かったんですね。ガツガツ打ってプロでいっぱいお金を稼ごうという欲もまったくなかった。もともとプロ野球選手になりたいという欲が小さいころからなかったんです。何となくプロに入れてしまったのもいけなかったんじゃないかな」

 -野球少年は皆プロ野球選手に憧れるが。

 大越「自分が小さい時、野球は甲子園しか見えてなかった。大学を中退して何となく米国へ行ったら、翌年にドラフトでダイエーから指名された。簡単にプロに入れてしまった。幼い時からプロ野球選手になりたいということがなかったのにプロになってしまったから、平々凡々としていたのかなって」

 -米国へはなぜ。

 大越「日本で野球ができなかったんです。早稲田を辞めた時のイメージが悪すぎて。わがままでやめた、女性関係でやめたといろいろ言われて、企業(社会人野球)が取れない。大越を取ると企業のイメージが悪すぎると。結構(メディアに)書かれちゃったんで。事実じゃないんですが、おもしろおかしく」

 山下智茂氏(以下、山下)「甲子園のヒーローだし(中退したのが名門の)早大だったからね」

 大越「あの時は部屋にこもってましたね。今で言ううつ状態だったでしょう。心配してくれる方と待ち合わせしても、そこへ行けなかったことが何十回もありました。1年間くらいですかね」

 -それから米国へ。つらい時期だった。

 大越「自分も悪いんです。燃え尽き症候群になっていた。大学野球で野球をするイメージがわかなかった。今思うとですが、そのくらい甲子園で燃え尽きてしまいました」

 山下「特に竹田さんが(東北初の)優勝を狙いに行っていた時だから、わかるね。ただの決勝戦ではなかった。あの決勝はものすごく話題になった」

 大越「体も大きくないですし、自分がプロ野球選手になれるイメージもなかった。幼い時から甲子園のお兄ちゃんが格好よかった。小学生の時からお正月のお年玉でアサヒグラフを買ってそれを眺めて、自分がそうなっていくイメージしかなかった。夕飯の時に星稜-箕島(延長十八回)をやっていたのをすごく覚えている。山下先生がベンチに立っていた姿も覚えている。8歳の時ですね」

 山下「あれを見て高校野球の監督になった人は多いね」

 大越「今思うと、入れないところ(プロ)に入れたのにもっとやれなかったのかって。やめた人はみんな思うと思うけど、あれは自分の失敗でした。自分、松井選手の外れ1位なんですよ」

 山下「そうなんだ!松井が1年の4月からダイエーのスカウトは来ていた。3年かけて獲るって毎日来ていたね。打撃はよかったけど守備とか守りとかはまだまだの時。雰囲気あると思っていたんだろうね。だから、ダイエーに入るんじゃないかって思っていたよ」

 大越「あんな選手の外れ1位で光栄です」

 -なぜ教員免許は山口の東亜大で?

 「東亜大だけが早大の単位を認めてくれるということで。ほかは4年かかったり受験しなければならなかったりして。お金や時間の問題もありましたから。山口は縁もゆかりも知り合いもいないところでした」

 -教員は選択肢として昔からあった。

 大越「まったくないです。竹田先生も怖いし、なりたくない職業という方が強かった。でも、30歳前にいずれプロをクビになると思い、次に自分がエネルギーを持っていけるのは何かと考えた時に、高校野球かなって。幼い時から一番熱くなれていたので。大学中退だし、もう1回勉強しようと思いました。兄が宮城県の公立の先生をしていて兄から話を聞いて、クビになった時にはすぐ教員になろうって。まず指導者になる、それに教員がついてくるという感じだったけど、教員10年目の今は学校の先生が楽しいです。意外と教員の方が向いているかなって。特にやんちゃな子をかわいく感じる」(3に続く)

最終更新:9月10日(土)14時14分

デイリースポーツ

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