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新井、黒田の涙に「僕も一気にきました」 チームを変えた2人の負けん気

デイリースポーツ 9/10(土) 23:10配信

 「巨人4-6広島」(10日、東京ドーム) 優勝へのマジックを1としていた広島が巨人に逆転勝ちし、25年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした。マウンド付近に歓喜の輪ができ、選手は喜びを分かち合った。涙で顔がゆがむ黒田を見つけると、新井の涙は止まらなくなった。抱き合ってまた、大粒の涙が落ちる。2人はマウンドで宙に舞った。年下選手の掛け声に、照れながら5度。また涙がこぼれた。宿敵巨人を前にしての優勝。目を真っ赤にした新井が静かに笑った。

【写真】胴上げされながら…黒田の涙止まらず

 「言葉にならないですね。黒田さんの涙を見て、僕も一気にきました。たくさんのファンの方に喜んでもらうことができた。それがすごくうれしかった」

 優勝の立役者となったのは、黒田と新井。時を同じくして広島を離れ、戻った。41歳と39歳。互いの強さを聞けば、黒田は新井を「彼のすごさを感じたのは、日本に戻った昨年。プライドを捨てられるのが、彼のプライドじゃないかと思う」という。新井は黒田を「本当のエース。過去にもエースと呼ばれている人はたくさんいるけど、本当の存在感、空気感は出せないし、なかなかいない」とし、その強さについて「自分を犠牲にできるから」と続けた。チームのために-という犠牲心が、ベテラン2人を支える強さなのだろう。

 黒田と新井。2人には東京に、巨人に、強い相手に負けるかという反骨心があった。出会いは新井がドラフト6位で入団した1999年シーズン。投手と野手。接点は多くない中、仲を深めたのは03、04年。山本浩二監督(当時)の下、エースと4番として投打の柱を託された。黒田が当時を振り返る。

 「あの年は2人で結構、参っていた時期も多かったですね。ちょっとお互いに、自分自身も勝てなくて、新井も全然打てなくてヤジも飛ばされて、という時があった。そのころから、置かれた立場的も同じような境遇。そういう部分で親近感というのは、あったのかもしれないですね」

 怒り、悔しさを酒で紛らわせるように、2人で頻繁に飲みにも出掛けた。観客が1万人を割ることも珍しくなかった時代。口を開けば、チームが勝つための方法を語りあった。2人の8年ぶり復帰を実現させた鈴木球団本部長は、静かに言う。

 「よく言われる“暗黒時代”でチームの中心。新井と2人、一番成績がいい時に、悪い方の条件を飲んでくれた。常にチームのことを考えてくれていた」

 2人は一度広島を離れたが、その姿が若いチームの中で、精神的な支柱になると確信があった。悩む新井には「ええから、戻ってこい」と伝えた。黒田とはオフ、毎年のように会い、言葉にせずとも気持ちを伝えた。復帰を信じていた。

 「当時とは違う。球団の財力、環境も変わって堂々と争える環境を整えたぞ、という思いはあった。迎え入れる環境がようやく整ったのが昨年、一昨年。もう一つ、上に行きたいと考える中で、若いチームに柱、核が必要だと痛切に感じていた。新井にしてもそうだし、2人に支えてほしい、と。彼らがいたらチームが変わる、ずっとその思いはあった」

 チームは変わった。黒田、新井の背中が、若い選手のお手本となった。25年、優勝から遠ざかったファンは、2人の姿に夢を見た。新井の2000安打に、300本塁打。黒田の日米通算200勝…。節目の大偉業に勝利を届けたい-と、チームは日増しに1つになった。石井打撃コーチは言う。「この位置にいるのは新井と黒田、この2人の存在がとても大きい。若い選手に背中で示してくれている。(打撃コーチで黒田とは)担当部門は違うけど本当に感謝しています」。一丸のチームに敵はいなかった。

 2人は昨年、時を同じくして8年ぶりに古巣に戻った。なぜ、広島なのか、なぜカープなのか。新井は言う。「黒田さんも僕も、負けん気があるんだと思います。中央に負けるか、巨人には負けんぞ、と。みとけよ、広島の小さな町かもしれないけど、人気球団には負けないぞという負けん気。だからこそ誇りを持っていますよね。広島という町に、チームにね」。夢は結実、思いは昇華した。黒田と新井。泣いて、笑った。歓喜の輪の中心で、2人は輝いていた。

最終更新:9/10(土) 23:14

デイリースポーツ