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広島優勝…緒方監督7度舞った!家族の支えで将に変化…感情むき出しチーム鼓舞

デイリースポーツ 9/11(日) 6:03配信

 「巨人4-6広島」(10日、東京ドーム)

 そこに夢があった。歓喜のフィナーレ。広島カープがついに、ようやく、25年ぶりにリーグ優勝を手にした。12球団で最も遠ざかっていた頂点。就任2年目の緒方孝市監督(47)が7度、宙を舞った。新井が、黒田が大粒の涙をこぼした。栄光の道へと続くV7。悲願成就から常勝軍団へ。赤ヘル新伝説が始まる。

 止まらなかった。目からこぼれる涙。1歩、2歩、マウンドの赤い輪に、緒方監督が歩みを進める。黒田の涙に、新井の涙が止まらない。中心に立つ指揮官は笑いながら、泣いた。1回、2回、25年ぶりのV7を祝して7度、高々と宙に舞った。夢は結実、思いは昇華した。頂点だ。宿敵巨人を倒して頂点だ。

 「広島のみなさん、全国のカープファンのみなさん。本当に長い間お待たせしました。おめでとうございます」。涙するファンを前に声を張り上げた。今季を象徴する42度目の逆転勝利。インタビューで昨年の悔しさを問われると、「自分だけではない」と言い、声を詰まらせ思いを巡らせた。

 就任1年目の昨季。黒田、新井の電撃復帰に沸いたが、4位に沈んだ。目指したのは伝統野球の復活。投手中心に守りを固め、接戦で競り勝つ野球を求めたが、強すぎる思いは空回り、歯車はかみ合わなかった。「今の子に伝えるのは難しい」。ポツリとこぼしたこともあった。腕一本、反骨心でのし上がった野球人生。時代に戸惑い、葛藤する中、家族の支えが救いだった。

 かな子夫人、子供3人が家族会議を開催。皆の思いを手紙につづった。夫人が明かす。「私たちにとって『伝える』年でした。一番信頼していた鳥栖高の監督さんも亡くなられていて、言ってあげる人がいない。家族で頑張りました」。厳しさの先にある優しさを伝えてほしい。愛ある直言に迷いが消えた。「チームに火をおこすんだ」。あえて控えていた感情を表に戦った。

 一進一退の攻防を続けた5月下旬。交流戦前と後に佐賀の実家に戻った。父・義雄さんが体調を崩して緊急入院。最初は夫人にも明かすことなく、単身で帰省した。81歳、病気知らずの人だった。

 「孝市が頑張っているから、オレも頑張らんといかんね」

 09年の引退試合観戦後、監督で戦う姿を生で見たことはない。何度か機会はあったが「気持ちは通じとる」と断った。見舞い後は周囲が驚くほどの急回復。活躍を伝える新聞、テレビ報道に、病床で血圧が上がるほど喜んだ。時を同じく“神ってる”快進撃でチームは11連勝。勇気を届け、励まされながら、歩みは力強さを増した。

 99年。ある球団から獲得オファーが届いた。提示年俸は3年10億円。引退後は指導者の道も約束された。「優勝を経験してみたい」。心は激しく揺れた。

 「男なら勝負してもよかよ」

 プロ入りに悩んだ18歳の冬、母・孝子さんに背中を押された言葉がよみがえる。95年に急逝。亡くなる前日、危篤の知らせに広島から急行した。話ができる状態ではなかった母の手を握って数分間、無言の会話。翌日、他界した。

 「情のあるチームで優勝することに意味があるんじゃないか」。迷いはしたが、答えは一つだった。広島の年俸は遠く及ばなくても、交渉で金銭の話は一度も求めなかった。広島が、カープが好きだった。残留を決めた。

 91年の優勝は5年目、主に代走で貢献した。あれから25年。監督として理想の野球を体現した。「クライマックスも勝ち上がって、日本一をつかみ取りましょう」。伝統復活、これがカープだ。愛する広島一筋で夢にまで見た頂点。夢の先にまだ夢がある。次は32年ぶり日本一。スタンドが強く、赤く揺れる。

 ありがとう 我らの誇り 赤ヘル軍団-。

最終更新:9/11(日) 7:34

デイリースポーツ

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