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元自民党幹事長の加藤紘一氏が死去

スポーツ報知 9月11日(日)6時8分配信

 自民党幹事長を務め、党内リベラル派として1994年の自民党、旧社会党、新党さきがけによる連立政権を支えた加藤紘一(かとう・こういち)氏が9日午後0時45分、肺炎のため東京都内の病院で死去した。77歳。山形県出身。

 東大卒業後、外務省勤務を経て72年に衆院初当選。13期を務めた。首相を目指し、一時は有力候補と目されたが、2000年に党内抗争に端を発した「加藤の乱」に敗れ、挫折した。

 84年に第2次中曽根改造内閣で防衛庁長官に就任。91年には宮沢内閣で官房長官を務めた。このころ小泉純一郎元首相、山崎拓元自民党副総裁と「反・経世会(旧竹下派)」を掲げて「YKKトリオ」を結成し、注目を集めた。

 94年の村山内閣発足に伴い党政調会長、95年に幹事長と要職を歴任し、自社さ3党による協調路線を確立。「将来の首相」との呼び声が高まった。98年に自民党内リベラル派の代表格とされる「宏池会」を継承し「加藤派」を発足させた。00年には当時の森喜朗首相に退陣を迫り、野党提出の内閣不信任決議案可決を目指す加藤の乱を起こすが失敗。02年に元秘書の脱税事件や自宅マンション家賃への政治資金流用発覚などを受け議員辞職した。

 03年衆院選で政界復帰を果たしたものの、12年衆院選で落選。13年に三女・鮎子氏を後継に指名し、政界引退を表明した。

最終更新:9月11日(日)6時8分

スポーツ報知