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フォーク3人組「日暮し」武田清一さんはレコード収集家に

日刊ゲンダイDIGITAL 9月12日(月)9時26分配信

 透き通るような女性ボーカルと、男性ハーモニーが絶妙だった3人組フォークグループの「日暮し」。情緒ある詞と曲調が心に響いたものだ。1977年発売の「い・に・し・え」が中野良子主演のテレビドラマ「恋歌」(日本テレビ系)の挿入歌として20万枚を超えるヒットとなった。79年に解散。ちなみに女性ボーカルの榊原尚美さんは、杉村尚美として、その後ソロで活動、「サンセット・メモリー」をヒットさせた。グループのリーダーで、作詞・作曲のほとんどを手掛けたのが武田清一さん(66)だ。今どうしているのか。

■RCサクセションの前身バンド

 実は武田さん、09年に亡くなった忌野清志郎(本名・栗原清志)さんの国分寺市立第三中学校の2年先輩。「セイちゃん」「キヨシ」の仲で、バンドを組んだこともある。

「ボクが高3、キヨシが高1の時でした。彼の同級生の3人でザ・リメインダーズ・オブ・ザ・クローバーってバンドをつくったんです。外国のバンドのコピーが当たり前だった時代、ボクらはオリジナル曲に挑みましてね。キヨシは当時からものすごく音楽的な才能を感じさせる、繊細な少年でした」

 武田さんがフォーク、忌野がロックと、それぞれ目指す方向が異なったため、武田さんが脱退。忌野はもう1人同級生を加え、RCサクセションを結成した。

「もちろん、仲たがいしたわけじゃなく、ボクは友人だった中村(幸雄)クンとフォークグループを組み、RCサクセションと渋谷のジァン・ジァンなんかによく出てましたよ。日暮しは、キヨシが作詞してボクが作曲した『あの歌が思い出せない』という曲を、知り合いだったかぐや姫の山田パンダさんが歌いたいというので、それを承知し、その頃に榊原尚美さんを紹介されたのがきっかけでできました。彼女の透明感がある歌声を聞き、一緒にやるしかないと思ったんです、ハハハ」

 日暮しは73年にデビュー。シングル9枚、アルバム5枚を発表し、79年まで活動した。

「デビュー前は漠然とシングルを出せればいいな、くらいに考えてたのに、複数のシングルと素晴らしいアルバム、何より、『い・に・し・え』というヒット曲も残せた。ボクが求めていた以上の結果だったと思います。解散? 中村クンが家業の肉屋を継ぐことになり、自然消滅的になくなりました。よく聞きますよね。バンド解散の理由がメンバーの方向性の違いってヤツ。そんな大層なものじゃありません」

 評判だった77年のアルバム「ありふれた出来事」と79年の「記憶の果実」は昨年12月、CDで再発売。また、この3月にはそれをもとにアナログ化し、LP発売した。

■所有レコードは3000枚

 さて、解散後の武田さんは音楽専門衛星デジタルラジオ・ミュージックバードのパーソナリティーを務める一方、ジャズのアナログレコード収集に情熱を注ぎ、今や3000枚のコレクションを誇る。

「3000枚を超えてからは数えるのが面倒になっちゃって。50年代のドナ・ブルックス、ナンシー・スティールなど、コレクターズアイテムを何枚か持ってるのが自慢かな。家庭の事情や収集の目的もあって、ロスとニューヨークには30回以上通いましたか。そこでペギー・リーやマリリン・モンローなどアナログレコードにまつわる出来事や話をいろいろ仕入れ、去年、『ヴォーカルはいつも最高だ!』(駒草出版)って本にまとめました」

 取材したのは、JR国立駅南口から大学通りを歩くこと約10分にある「Cafe Sings」。07年、自ら設計に関わり、オープンした。武田さんがセレクトしたジャズ&ポピュラーが流れる。

「ニューヨークのちっちゃなホテルのカフェをイメージしてます。ピアノのライブも開いてるし、音響を考慮して天井を高くしました。オススメは有機栽培のコーヒー(500円)と手作りピザ(950円)ですかね。消費税が上がっても値段は据え置き。開店時から同じです」

 夫人と2人暮らし。長女は嫁ぎ、次女はニューヨークで音楽関係の仕事に就いている。

最終更新:9月12日(月)9時26分

日刊ゲンダイDIGITAL

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。