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佐野実「ラーメン道」出身 藤井英次さんは4店舗のオーナーに

日刊ゲンダイDIGITAL 9月12日(月)9時26分配信

 1999年から03年にかけてTBSのゴールデンタイムを賑わせたTOKIO司会のバラエティー番組「ガチンコ!」。中でも、一昨年に他界した“ラーメンの鬼”佐野実氏(享年63)のキャラが強烈だった「ラーメン道」は、シリーズ化されるほどの人気だった。その第3期生で異彩を放っていたのが藤井英次さん(50)だ。今、どうしているのか。

■見事な怒られっぷりと名ゼリフの数々

「いらっしゃいませ、お待ちしてました。こちらへどうぞ」

 滋賀県湖南市の旧国道沿い。昨年3月にオープンしたラーメン店「天下ご麺 湖南店スペリオル」を訪ねると、黒いエプロン姿の藤井さんが出迎えてくれた。

「ボクなんかでホンマによろしいんですか?」

 これも“鬼”仕込みか、ものすごく腰が低い。藤井さんが出演した「ガチンコ! ラーメン道3」は02年5月に放送スタート。当時、藤沢市内にあった佐野氏のラーメン店「支那そばや」がロケ現場だった。

 藤井さんといえば、忘れられないのが佐野氏からの見事な怒られっぷりと名ゼリフだ。佐野氏に退出を命じられるシーンでは、「俺はラーメンにこしょうはかけませんけど、命は懸けられるんです!」と豪語。パイプいすに座ったままスタッフに担ぎ上げられ、「神輿やないねんから!」と叫びながら運び出された。

 スープ作りで佐野氏に怒鳴られた時は、寸胴を持ちながら「そんなに自分の味出せぇ言うんやったら、この中に入るわ!」と逆ギレ。茶の間を大いに沸かせた。

 そんな藤井さんも、今では立派なラーメン店オーナーだ。

「『ガチンコ!』に出る直前の02年2月にオープンした本店(甲賀市)から始まり、この店で4店舗目です。(佐野)先生お気に入りの北海道産小麦粉の全粒粉を使い、低加水で熟成させた自家製麺を使ってます」

 ラーメン道の卒業生では、「ミシュランガイド東京2015」ビブグルマンに選出された市谷「ドゥエ イタリアン」の石塚氏らが人気店オーナーとして活躍中。藤井さんも成功したといっていいだろう。

「いやいや、実はもうこれ以上、店を増やすつもりはないんです。むしろ、減らしていこうかなと。お金や名誉より、自分が納得できるラーメンだけ作れたらいい。それには完全に自分の目と手が届く規模にせないかんでしょ。もういっぺん初心に帰って、素材選びからスープ作りまで考えてみようと思うてますねん」

 さて、滋賀県栗東市に生まれた藤井さんは7歳の時に父母が離婚。以来、妹と母子家庭で育ち、高校卒業後はレストランやバーで働いた。22歳で喫茶店を開業し結婚。しかし、30歳だった95年、奥さんは1男2女を残して家出、離婚してしまった。

「おふくろに助けてもらいながら喫茶店を切り盛りし、夜も別の商売をしてたんです。でも、そうなると子育てがおろそかになるでしょ。ラーメンなら手っ取り早く儲けられると思い、今の本店をオープンしたんです」

 だが、世の中そう甘くはない。毎日、仕込みに追われ、睡眠時間は1日4時間が精いっぱい。ストレスと、不規則な生活がたたり、開店2週間後には急性十二指腸潰瘍で病院に担ぎ込まれてしまった。

■現場はホンマに大変やった

「病院のベッドで従業員の給料や家賃、材料代の支払いを考えたら、目の前が真っ暗ですわ。そんな時、テレビで『ガチンコ! ラーメン道3』の参加者募集を見て、すぐに応募したんです」

 結局、ラーメン道で藤井さんは準優勝。川崎のショッピングモール出店権は逃したが、知名度は抜群に上がった。

「水口本店は、今でも通称『ガチンコさん』『神輿さん』です(笑い)。当時、子供らには『お父さん、あんまり恥ずかしいことせんといて』って嘆かれましたが、今となってはいい思い出、ボクの宝物ですわ」

 ちなみに、当時、ちまたで疑われていた“あのウワサ”については?

「『ヤラセ』言う人もいますけど、現場はホンマに大変やった。先生は番組そのままに怒鳴るし、水もかける。実際、鬼ですわ。でも、人情味もありました。今でもボクの師匠ですよ」

最終更新:9月12日(月)9時26分

日刊ゲンダイDIGITAL

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

斬首動画が何百万回も再生されてしまう理由
昔は街の広場で、現代はYouTubeで。歴史を通じ、公開処刑には必ず人だかりがつきものでした。人が処刑というものを、恐ろしく不快に感じながらも、つい気になって見てしまうのはなぜか。フランシス・ラーソンが人間と公開処刑の歴史、中でも斬首刑に焦点を当てて解説したこのトークは、気分の良い内容ばかりではありませんが、同時に興味をそそること間違いないでしょう。