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常総水害から1年、いまだ土間状態…支援金足りず

スポーツ報知 9月13日(火)6時5分配信

 鬼怒川が決壊した関東・東北豪雨による水害の発生から10日で1年を迎えた。茨城県常総市は住民6223人が避難し、6001件の家屋が被災(全壊、大規模半壊、半壊、床下浸水)した。生活の基盤を奪われた被災者たちには、平穏な日々が戻ったのだろうか。越水により自宅が全壊し、国への責任追及を検討している同市若宮戸地区の逆井(さかさい)正夫さん(68)を訪ねた。(甲斐 毅彦)

 逆井さんは全壊した平屋の3DKのうち、6畳の一室のみを改修して暮らしている。部屋は水浸しとなった畳をどかし、板張りとなった上に雑然と物が置かれていた。「こんなのを見られると恥ずかしいよ」と言いながらふすまを開けると、隣室の6畳間は、押し寄せたがれきは片づけられているものの、いまだに土間のような状態だった。

 建物には12か所に穴が空き、コンクリートの土台も損傷したまま。被災者生活再建支援制度に基づく支援金が300万円弱、支給されたが「家を建て替えて元の生活に戻るにはこれでは全然足りない」と首を横に振った。

 逆井さんが隣接する坂東市から妻子を連れて鬼怒川左岸の若宮戸に引っ越したのは、隣のつくば市で万博が行われた1985年。「若宮戸は高台なので川があふれても大丈夫」が当時の住民たちの共通認識だった。その後、1女1男はそれぞれ独立し、妻・幸子さんは2013年11月にがんで60歳の若さで亡くなった。妻を偲(しの)びながら一人で静かに年金暮らしをしている時に越水に見舞われた。

 豪雨に見舞われた昨年9月10日午前2時過ぎ、警報を聞いて南東約3キロの市立豊田小学校に避難。「これだけは流されるわけにいかない」と慌ててリュックに入れたのは幸子さんのお骨だけだった。水が引いた翌11日の夕方、がれきに囲まれて損壊している自宅を見てがく然とした。趣味だった10台以上の高級カメラや幸子さんが買ってくれたオーディオセットはすべて泥まみれ。家族の思い出の写真や約400冊の本は流されてしまった。

 越水したのは、民間業者が自然堤防を掘削してソーラーパネルを設置した地点からだった。以前から危険を予感していた逆井さんは複数回にわたって国交省に対策を要請していたが、そこは国が管轄する河川区域ではなく、業者が用地買収した私有地であるとの理由で受け入れられなかった。逆井さんら住民の要請を受けて、災害発生の約2か月前には大型土のうが積み上げられていたが、越水は防げなかった。

 「業者の責任だ」。そう思った逆井さんは、内閣府をはじめ関係諸機関に告発文を送り、被災した約250人を集めて被害者の会を結成。しかし年明けの1月下旬に国交省関東地方整備局が発表した被災状況の調査結果は、自然堤防の掘削がなくても越水は防げなかった、とするものだった。業者の責任を問うことはできなくなってしまった。

 逆井さんは法律や水害の専門家と相談して、水害の危険を長年放置してきた国を訴えることを検討している。しかし、国の河川管理責任を問うた過去の水害訴訟の最高裁判決(1984年の大東水害訴訟判決)では、改修を行わなかったことで、国の責任は問えないものと判示されている。

 逆井さんは「法律のことはよく分からないし、裁判をすればすごくお金もかかる。でも泣き寝入りしてしまっては妻も浮かばれない」と諦めてはいない。しかし、行動のための労力や費用…。知れば知るほど困難であることを思い知らされる。

最終更新:9月23日(金)1時45分

スポーツ報知