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【あの時・ホーナー旋風】(1)開幕直前のオーナー指令「大リーグの4番を連れてこい」

スポーツ報知 9月12日(月)15時20分配信

 ニッポンをバブル景気の熱が覆っていた87年。29歳の現役大リーガーがシーズン途中にヤクルトへ入団し、フィーバーを巻き起こしながら、179日で去っていった。男の名はボブ・ホーナー。当時、ヤクルトの国際スカウトとして獲得に携わり、入団後は通訳として公私ともにサポートした中島国章氏(64)が、至近距離の真実をスポーツ報知に証言した。29年が経過した今だから明かされる、ホーナー旋風の舞台裏とは―。

■87年3月下旬

 オーナー、待ってください。それは無理難題です…。

 87年3月下旬。中島は球団代表の田口周とともに、東新橋のヤクルト本社にあるオーナー・松園尚巳の部屋に呼ばれた。総帥からの指令はこうだ。チームは2年連続最下位と低迷している。魅力的にするため、意識改革をする。今、大リーグで4番を打っている打者を連れてこい。金はいくらでも出す。ファンが仰天することをやりたいんだ―。

 「代表は『もう公式戦が開幕なので、難しいです』と説明したんだけど、オーナーは怒り始めて『連れてこいと話しているんだから、連れてくればいいんだ』って。瞬間湯沸かし器ですよ。土台無理な話。でも『とりあえず米国に行けば、何とかなる』というのが、おめでたい俺の性格なんだよね」

■奇跡は起きた

 中島はプロ選手の経験こそないが、語学が堪能なことから73年、南海の臨時通訳をきっかけに球界入り。同年からはヤクルトでペピトーンやマニエルらの通訳を担当した。外国人選手への献身的な姿勢が評価され、松園からの指令でこの春、国際スカウトを兼務することが決まっていた。

 「米国へ出発するんだけど、公式戦開幕前だとやはり無理かなと、あきらめムードでした。『ダメなら、オーナーから灰皿を投げつけられるしかない。痛いかもしれないけど、しょうがないな』って。その頃、ヤクルトはパドレスと友好関係にあった。マッキーンGMは顔も広いから、まずはサンディエゴへあいさつに行ったんです。すると、ヤクルトが大物を探しているというのが米球界でうわさになって」

 レッズで本塁打王に2度輝いたジョージ・フォスターや、メジャー通算442発を誇る強打者、デーブ・キングマンの代理人からも電話がかかってきた。とはいえ両者とも39歳シーズン。すでにピークは過ぎている。現役バリバリの大リーガーなんて、やはり夢物語か。そんな中、奇跡は起きた。

 「2週間以上たって、またマッキーンに会いに行ったら『ボブ・ホーナーという選手がいるよ』って勧められたんです。大リーグの4番で主将。これだ!と」

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最終更新:9月12日(月)15時20分

スポーツ報知

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