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【あの時・ホーナー旋風】(4)過熱報道に苦悩…メディアとの戦い

スポーツ報知 9月12日(月)15時30分配信

■張り込むカメラマン

 ホーナーは日本滞在中、セの5球団以外とも戦っていた。相手は過熱報道を繰り広げるメディアだった。87年7月1日、神宮での巨人戦。ホーナーは吐き気と頭痛を訴え、2回途中で退場し、球場近くにある慶応病院へ直行した。通訳と広報も兼務してサポートした中島国章は回想する。

 「木によじ登って、写真を撮るカメラマンもいた。病院からしたら一般の患者もいるわけだし『けしからん』となる。騒動を聞いて、ホーナーは『俺が悪いのかな』と思うじゃん。メディアとの確執はそういうところから始まったんだ」

 幡ケ谷のマンションの地下駐車場には、カメラマンが張り込んだ。レストランへ行くと、誰と何を食べたかまで突き止められた。

 「ホーナーはもう、うんざりしていたね。その分、僕が何とか守ってあげなきゃと思っていた。ホーナーはお酒が好きだし、真っすぐ帰宅したくないから『飲みに行こう』となる。朝まで一緒にいなきゃいけない。でも、これも仕事だから」

■左腰に激痛

 10日後の7月11日、後楽園での巨人戦。ホーナーの左腰に激痛が走った。6回1死一塁、水野の初球内角カーブを強振した際にひねったのだ。診断は「腰椎捻挫で全治1週間」。それから9試合に欠場し、ファン投票で三塁手のトップだった球宴も辞退した。各紙の論調は厳しくなった。

 「疲れがピークだったし、腰痛はしょうがない。それ以降はだましだましだった。練習に顔を出さず、トレーナー室で横になっていることが多くなった。特別待遇ですね。でもここで怒られて帰国されたら、元も子もない。練習をサボっているとみんな言うけど、メジャーでは試合で結果を残せばOKだから。でも日本だと『練習に一生懸命=いい子』なんだよね」

 当時、報知新聞でヤクルト番だった若菜泉は証言する。「試合前練習が終わってベンチに座っていると、僕も英語が堪能じゃないけど、少し話しかけたいじゃないですか。でも常に『話しかけられたくない』という空気を発していましたね」。さらには日本人投手を優遇するかのようなストライクゾーンの判定も、いら立ちを増幅させる要因となった。再び中島は振り返る。

 「ストライクゾーンもあの頃はひどくてね。外国人打者のように力がある者には、差し引いてあげないと、日本の投手がかわいそうという感じだった。最近は審判のレベルも上がって、きちんとしているけどね」

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最終更新:9月12日(月)15時30分

スポーツ報知

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