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金ではなく情なら許される? 江戸時代に喝采を浴びた八百長相撲

SUUMOジャーナル 9月12日(月)7時0分配信

江戸の三大娯楽といえば、相撲、歌舞伎、吉原の遊郭。お金のかかる歌舞伎や遊郭に比べ、手軽で硬派な娯楽であった相撲は熱狂的な人気があったという。浮世絵にも描かれ、落語や歌舞伎の題材にもなった相撲。こんな人情噺(ばなし)も伝わっている。

連載【江戸の知恵に学ぶ街と暮らし】
落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。

■名力士「谷風」による人情相撲が題材、落語「佐野山」

江戸時代に人気と実力を兼ね備えた力士は数多くいた。浮世絵(画像1)に描かれた力士はその代表だ。このなかにも描かれている、谷風梶之助が登場する落語が「佐野山」だ。

【画像1】「明石志賀之助・谷風梶之助・小野川喜三郎・阿武松緑之助・稲妻雷五郎・不知火諾衛門・秀ノ山雷五郎」豊国(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

十両の佐野山という力士、親孝行だったので、病気の母親の看病や薬代の支払いに追われ、ついにはろくに食事も取らずに土俵に上がっていた。そのため連敗続きで、いよいよ引退かと噂されるようになっていた。

これを知った谷風は、相撲会所に根回しをして、無理を言って千秋楽に佐野山と対戦する取り組みを組ませる。驚いたのは、相撲ファン。勝ち続けている谷風と負け続けている佐野山の対戦とあって、廻しを取れば5両、もろ差しになったら10両の祝儀を佐野山に出そうなどと言い出す始末。贔屓(ひいき)筋も、佐野山が勝ったら大金を祝儀に出そうと応援する。

さて、千秋楽の結びの一番。谷風に負けないほど、佐野山という掛け声がかかるなか、行司の軍配が返る。谷風は、佐野山を抱えるようにして土俵際まで引きずり、自ら土俵の外に足を出すと、軍配が佐野山に上がる。谷風が勝つとばかり思っていた観客は大騒ぎ。

こうして祝儀をたくさんもらった佐野山は、この後も親孝行ができたという落語だ。
谷風がわざと負ける八百長のような相撲を取ったというのは、事実ではないが、このような話ができるほど谷風は人格者としても知られていたのだ。

■力士が「一年を二十日で暮らすよい男」といわれた理由

相撲は、本来「神事」と深い関係にあり、古来より行われていた。鎌倉・室町の武士の時代になると「武芸」として行われるようになり、江戸時代に勧進相撲(かんじんずもう)が行われるようになると庶民の「娯楽」になる。

勧進相撲とは、寺社の建立や修繕のための費用を集める目的で行われる相撲興行のことで、寺社奉行が認可したもの。興行では勝敗をめぐって喧嘩が多発したので、たびたび幕府は相撲を禁止したが、あまり効果はなかった。というのも、今のような丸い土俵が登場した(かつては土俵がなく、人々が囲んでつくった輪の中で行われた)ことで、体の大きいなものや力のあるものだけでなく、寄り切りなど土俵際の技がものをいうようになり、相撲の醍醐味が生まれてますます人気になったから。

今の日本相撲協会のような「相撲会所」が組織され、江戸では1年に春・秋の2場所、10日間(当初は8日間)の晴天興行という体制が整い、人気力士が出現して浮世絵に描かれたりするようになると、庶民の娯楽の最先端となった。

このころできた川柳「一年を二十日で暮らすよい男」という川柳は、10日間興行の2場所で暮らす力士を表したものだ。

■江戸時代から現代まで変わらぬ姿を見せる相撲

【画像2】「勧進大相撲繁栄之図」一曜斎国輝(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

さて、浮世絵「勧進大相撲繁栄之図」(画像2)を見てほしい。土俵の上ではまさに取り組みの真っ最中。行事や審判員、呼出の姿もあり、土俵の下には東西それぞれに力士が控えている(浮世絵にはこうした人物の名前も書かれている)。このころの勧進相撲が、現代の相撲とほぼ同じような形式になっていたことが見て取れる。

客席は桟敷席、1階席、2階席まであるが、どうやら2階席には梯子(はしご)で上がっていたようだ。観客席は、丸太で組んでよしずをかけただけの簡易な仮小屋で、相撲興行の度に寺社の境内につくられ、興行が終わると取り壊された。

土俵の四隅に柱を立てて、その上に屋根をかけている。四本の柱には青白赤黒のひもを巻き、よく見ると弓取り式の弓や刀が結わえ付けてあるのが分かる。刀は喧嘩の際に親方衆がこれを抜いて仲裁に行くためのものだという。

柱の四色は、四方の方角を守る四神(神獣)を表している。それぞれ東方を守る青龍(せいりゅう)=青、西方を守る白虎(びゃっこ)=白、南方を守る朱雀(すざく)=赤、北方を守る玄武(げんぶ)=黒と、色で表現したものだ。ただし、江戸時代で実際に使われた色は、土俵によってさまざまで、赤だけの場合もあったりした。この浮世絵の場合も、青ではなく緑が使われているようだ。

四方の柱の下に審判員がいるのも今と同じだ。今は相撲が見づらいので柱はなくなっているが、代わりに房がつけられていて「赤房下○○」などと審判員の紹介がされる。

今との大きな違いは、江戸時代は女性が相撲興行を見ることはできなかったこと。女性も見られるようになったのは、明治になってからだという。

今年の大相撲九月場所は、9月11日からはじまり、9月25日に千秋楽を迎える。、観客席には女性の姿も多く見られるだろう。性別を問わず、伝統のある様式化されたスポーツを楽しめるのは、現代ならではのことだ。

●参考資料
・「江戸っ子はなぜ宵越しの銭を持たないのか?」田中優子著/小学館
・「落語と江戸風俗」中沢正人・つだかつみ著/教育出版
・「お江戸でござる」杉浦日向子監修/新潮社
・「雑学 大江戸庶民事情」石川英輔著/講談社文庫
・「江戸時代のすべてがわかる本」大石 学編・著/ナツメ社
・東京都立中央図書館「大相撲スペシャル」サイト(江戸・東京デジタルミュージアム)

山本久美子

最終更新:9月12日(月)7時0分

SUUMOジャーナル