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<リオパラ>師匠が金の快走願う 車いす400、佐藤友選手決勝へ

@S[アットエス] by 静岡新聞 9月13日(火)8時4分配信

 2012年ロンドン・パラリンピックで車いす陸上に出合った青年が、わずか4年で世界一に挑む新星になった。12日のリオデジャネイロ・パラリンピック陸上男子400メートル(車いすT52)予選で、初出場の佐藤友祈(ともき)選手(WORLD―AC、藤枝市出身)が13日の決勝に進んだ。佐藤選手に競技者への第一歩を示したのが、静岡県車いす駅伝チームで活躍してきた植田一弥さん(57)=静岡市清水区=。「友祈の活躍は自分が競技を続けてきた証しのよう。金メダルを取ってこい」とまな弟子の快走を願った。

 植田さんは佐藤選手と初めて会った「4年前の1日」を鮮明に覚えている。「パラリンピックに出たいと言う子がいる」。藤枝市の知人から電話を受けて車を走らせた。「今になって振り返ると、運命的な巡り合わせだった」

 佐藤選手は21歳で患った脊髄炎によって下半身不随になり、実家で療養生活を送っていた。当時の体重は約90キロ。植田さんの第一印象は「でかいやつ」。練習と食事を指導したが、約20キロの減量が必要で、とてもパラリンピックに行けるとは思えなかった。だが、佐藤選手は教えに真面目に取り組んだ。

 植田さんは佐藤選手を「有言実行。大きいことを言うけど、言葉に責任を持って練習する」と評する。最も印象深いのは13年4月、長野車いすマラソンが雪で中止になると、長野から清水区に戻ってきて練習した。「こんな選手初めて。化けるかもしれない」。飛躍を予感した。

 14年秋、記録を伸ばす佐藤選手に、「東京(パラリンピック)を狙えるぞ」と伝えた。だが、返ってきた言葉は「ありがとうございます。でも、僕はリオに行きます」。この“ビッグマウス”も、1年後の世界選手権で優勝して実現させた。

 植田さんは30年以上の競技生活で、佐藤選手と同じクラスの選手を多く見てきた。その上で「無駄な力が少なく、こぎが速い。友祈が日本史上最強だ」と確信している。「リオで頂点に立ち、4年後は目の前で金メダルを見せてほしい」と、大きな期待を寄せた。

静岡新聞社

最終更新:9月13日(火)9時50分

@S[アットエス] by 静岡新聞