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【巨人V逸の理由】(1)機能しなかった打線

スポーツ報知 9月13日(火)11時2分配信

 巨人の2年ぶりリーグ優勝が消滅した。シーズン序盤は1位の時期もあったが、5月下旬に7連敗。セ・パ交流戦で広島に引き離され、後半戦は2位のままだ。V逸の原因はどこにあるのか。全5回の連載で検証する。第1回は、なかなか機能しなかった打線にスポットをあてる。

 開幕戦を4日後に控えた3月21日は、開幕戦のベンチ入りメンバーを決める日だった。練習直後の東京Dの監督室には、緊迫感が漂っていた。由伸監督は、向き合った堤GMにこう告げた。「阿部が万全ではないです。投げられないのなら2軍に落とします。捕手で出られるようになるまで待ちます」―。大黒柱の離脱が決まった瞬間だった。

 阿部は2月のキャンプで1軍本隊から外れ、自己流での調整を一任された。そんな中で右肩痛を発症し、持病の首痛も影響した。3月16日からオープン戦計3試合でようやく先発マスクをかぶったが、患部の痛みは一進一退。練習でも送球に威力がない状態だった。

 打者として残す手もあったが、指揮官は特別扱いしなかった。調整を任せたのに離脱した。他の選手に示しがつかなかった。しかも、今季は本人の強い希望もあり、捕手専属として復帰する予定だった。「100試合でも先発マスクをかぶってくれたら御の字だよ。打線の並びを考えても大きい」と期待していた矢先の予期せぬ事態。これが誤算の始まりだった。

 代役となる小林誠の打力(現在2割4厘)からしても、攻撃力の低下は否めなかった。開幕後も阿部は度重なる下半身のけがに見舞われた。1軍復帰は5月31日のオリックス戦(京セラD)。右肩が万全ではない中、一塁手としての昇格だった。当時、チームは4位に低迷。チーム打率は2割4分1厘で、リーグワーストだった昨年の2割4分3厘を下回っていた。現状を打破するためにも“奥の手”を使わざるを得なかった。

 そんな頃だった。他球団の選手、スコアラーからこんな声が聞こえてきた。「坂本を抑えれば何とかなる」「阿部はキャッチャーできるの? キャッチャーだと厄介」「しかし巨人は動かないね。エンドランをやられた記憶がない」―。

 開幕4番のギャレットが不振で、5月23日に2軍降格。打順の再考に入った時期でもあった。

 助っ人は低めに落ちる変化球の対応に苦しんだ。東京Dの照明(LED)が合わず、偏光サングラスを数種類試すなど、対応にも時間がかかった。降格前の東京Dでの打率は1割台。4番にクルーズ、長野を据えたが、長野は40試合で2本塁打。一発で流れを変える主砲の働きはできなかった。開幕スタメンの立岡も、けがで離脱し、坂本も下半身に不安を抱えるなど、機動力を生かした攻撃もできなかった。盗塁数は昨年のリーグトップのシーズン99個から、今季は現時点で同4位の57個に減った。

 坂本が打率リーグトップをひた走り、不動の3番として機能しているだけに、4番勝負というケースも目立った。結局、7月24日のDeNA戦(横浜)から阿部に4番を託すしかなかった。開幕前は下位に置いて打線に厚みを持たせる構想だったが、ここに指揮官の苦悩が表れている。

 就任1年目。由伸監督は初体験となる采配について「実際に俺らが何かして勝つ試合は正直、少ないと思っている。選手一人一人がいい成績を残すことが大事」と語っていた。主力であろうとバントやエンドランを使った原前監督の「動く野球」に対し、由伸監督は「個の力」を優先。これを意気に感じた選手がほとんどだった。

 成績が落ちた選手には対話を重視した。5月20日の中日戦前、ナゴヤDの監督室に亀井と立岡を呼んだ。開幕スタメンに名を連ねた2人に「少しリフレッシュしなさい」と告げた。やる気をそがないよう配慮し、先発から外して気分転換を図った。そこまでして「個の力」を大事にした。

 ただ、それが不調になる時は必ず来る。そんな時はエンドランなどベンチ主導で選手に刺激を与え、相手に「何かやってくる」と考えさせる野球が必要だった。指揮官は「采配に絶対はない。こうすれば良かったと思うこともあるしね」と振り返った。「個の力」が落ちた時は、采配にもうひと工夫があっても良かったかもしれない。

 世代交代が急務の中、由伸監督の期待に応えた若武者はいなかった。オープン戦では岡本と重信を計20試合中18試合で起用。一部のコーチから「監督は本当に我慢強い」と言わせるほど、台頭を待った。が、ともに打率1割台に終わった。最後まで一本立ちする野手は出ず、戦力に厚みは出なかった。(特別取材班)

最終更新:9月25日(日)4時48分

スポーツ報知

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