ここから本文です

沖縄での下積み時代に悩み苦しんだからこそ今がある MAX・LINA

ITmedia ビジネスオンライン 9/15(木) 7:18配信

 こんにちは、MAXのLINAです。

 9月も半ばに差しかかり、だんだんと涼しくなってきました。けれども、夏の暑さの疲れなどがどっと出る時期ですので、読者の皆さんも体調管理には気を付けてくださいね。

【12歳で初めて受けたオーディションで歌う姿】

 今年の夏はMAXも多くのイベントに出演しました。特に思い出深いのが、故郷・沖縄でのコンサートです。

 デビューしたころ、「いつか沖縄でライブをやりたい!」というのを目標にしていたので、今でもこのようにイベントに呼んでいただいたりすることは嬉しいし、私をいろいろな意味で強く育ててくれた沖縄に恩返しができたと実感する瞬間でもあります。

 そして、何よりもいつも温かく私たちを迎え、応援してくれる地元の皆さんの声援が活力になり、沖縄で生まれて良かったなと思うのです。沖縄では音楽が鳴るとカチャーシー(沖縄の伝統的な舞踊)で盛り上がることが多く、小さいころから慣れ親しんでいる光景をステージから見ると本当に笑顔になれます。

●おニャン子クラブに憧れて

 そんな沖縄で生まれ育った私が「歌手になりたい!」という夢を持ち始めたのは小学3年生のときでした。

 そのころはまさにアイドル全盛期の80年代。私も含め、同世代の女の子の間では、おニャン子クラブが大人気で、放課後になると、クラスの仲の良い友だちとおニャン子さんを真似て歌ったり、踊ってみたりしました。そして、あたかも自分がアイドルになった気分で、学校の行事などでお披露目したもんです(笑)。

 そのお手本となるおニャン子さんのテレビ番組が毎回楽しみで、放送時間に間に合うように猛ダッシュで家に帰ったこともしょっちゅうでした。彼女たちがステージで歌う姿を毎日のように見ているうちに、どんどんその華やかな世界に夢中になっていきました。

 余談ですが、私の憧れは小麦肌にショートヘアーが魅力的だった会員番号11番の福永恵規さんでした。

 歌手になりたいという夢を抱きながら毎日を過ごしているうちに、大きなチャンスが訪れました。小学校卒業を目前に控えたある日、沖縄でポニーキャニオンのオーディションが開かれたのです。友だちと一緒に受けることになったわけですが、これが私の人生で初めての音楽業界への挑戦となりました。

 最優秀賞を獲ればすぐさまCDデビューというオーディションだったのですが、該当者は出ず、私はチャーミング賞という賞をいただきました。そして、このオーディションをきっかけに音楽養成所の校長先生の目にとまり、「音楽養成所で一から音楽を学んでみませんか?」とオファーをいただき、私の音楽人生が始まりました。

 ちなみに、MAXメンバーのNANAさんとは同じオーディションを受けていて、初めての出会いが最終審査の舞台でした。まさかあの日のオーディションをきっかけに、今ではかけがえのない仲間になるなんて、人生って何が起こるか分からないですね。それが人生の面白いところでもあるんだなと実感します。

 初めて見る養成所の光景は、今でも忘れることのないほど鮮明で、生徒たちの真剣な姿とスタジオの熱気に圧倒されたのを覚えています。

 それまで歌や踊りをきちんと習っていたわけではないので、最初は声の出し方やステップの踏み方など、いろいろと苦労もありましたが、元々、大人しく勉強机に向かって何かを学ぶことは性に合ってなかったので、身体を動かしながら学ぶレッスンは、とても楽しくて仕方ありませんでした。

 歌やダンス、演技のレッスン、それと言葉の発音のトレーニングもありました。どういうことかと言うと、沖縄特有のなまりをなくして、標準語をきちんと話せないと駄目だということでした。

 養成所は面白いことに校長先生以外に専任の講師がいなく、発声とリズムのレッスンでは校長先生から教わった方法を、同じく養成所に通う先輩たちから習うというものでした。

 私も最初は先輩からリズムの取り方、発声の仕方、表現方法などを教わっていましたが、ある程度レッスン年数が経つと、今度は後輩に教えるという講師役を任されるようになるのです。講師役を任されるというのは、ある意味、校長先生に認められたり、期待されていたりということなので、「早く講師役になりたい!」と、先輩たちのレッスンを受けながらずっと思っていました。

 ちなみに、講師役をしていたときには、小学生だったSPEEDのメンバーや三浦大知くんにダンスを教えたこともあるんですよ。

●人生に悩んでいたころ、聞こえてきた音楽に……

 養成所に通うようになってから月日が経ち、周りの子たちが次々とデビューしていきました。「私も早くあこがれの東京に行きたい」と願いつつレッスンに励んでいると、ついに私も3人組でデビューすることが決まりました。当時人気だったC.C.ガールズのようなグループとしてでした。

 すぐさま東京に行き、宣材写真の撮影やレコーディングをするなど、デビューに向けて着々と準備をしていました。ところが、いろいろな事情があってデビューは白紙となり、また沖縄へ戻ることになってしまいました。

 その時、私は16歳でした。

 ずっと夢見ていたことがあと一歩のところで立ち消えてしまったことは尾を引き、私の気持ちにも変化が起こり、現状に悩みを持ち始めました。

 「このままレッスンだけをし続けていてチャンスはあるのか?」

 「養成所をやめて、東京に住んでオーディションを受けたほうが良いのではないか?」

 あんなに楽しかったレッスンが苦痛で、先の見えない将来に希望を失ってしまったんです。

 そんなとき、ジュークボックスから流れてきた横山輝一さんの『SOMEDAY』という曲に強い衝撃を受けました。

 「夢は一つ残らず 叶うと信じてる 答えを出せなくても SOMEDAY 分かりあえる」

 この歌詞が、私の胸に直球で突き刺さり、夢を手放そうとした情けなさと同時に、純粋に夢を追いかけていた初心のころの思いがよみがえってきたんです。生まれて初めて音楽の力を味わった瞬間でした。

 「もう一度頑張ってみよう!」

 私は再び毎日、歌手デビューに向けてがむしゃらにレッスンに打ち込みました。このころには、自分のレッスンに加えて、講師役としての役割も大きくなっていたので、朝から晩までずっと養成所で過ごす日々でした。

 それから1年が経ったころ、転機がやって来ました。先にデビューしていたSUPER MONKEY'Sが、当初の人数から1人減った4人で活動しており、さらに1人が辞めるという状況になったのです。そうした中、社長の目にとまっていた私とREINAを入れて、5人のメンバーで再出発しようという話をいただきました。

 「これ以上ない大きなチャンスを無駄にしてはいけない!」

 東京に出て自分の夢に挑戦したいと、覚悟を決めて返事しました。それが最終的にMAXというグループの誕生に繋がっていきました。

 皆さんも人生の中で音楽に助けられたことがあるのではないでしょうか。私の場合、あのとき、あの曲に出会ってなければ、違う人生の選択をしていたのかもしれません。あるいは、そのとき心に響いた音楽が別のものであれば、選ぶ答えも変わっていたかもしれません。

 でも、今振り返ってみて思うのは、未来は常にたくさんの可能性が待っていて、自分の気持ちに正面からぶつかり、悩み、出した答えはどの道を選んでも間違いではないということです。もし選んだ道を進んでく中で違和感を持つことがあれば、軌道修正して再スタートすればいいのです。人生はいつでも再出発のできることを忘れないでください。諦めないこと、自分を信じること、何事もその気持ちが一番です!

 誰しも人生はその時々で悩むことや苦しいことはあるはずでしょうが、それらをたくさん経験したお陰で、私は今では現状に満足してないときこそ、自分が成長できるタイミングだと前向きにとらえられるようになりました。慌てることなく、そんなときこそ、いろいろなことを吸収して、新しい自分作りを心掛けています。

 心が赴くままに物事に向き合っていけば、最後はきっと良い形で導かれていくと信じています。

 かつて音楽に力をもらい、新しい一歩を踏み出せたように、私も誰かの背中を押してあげられるようなアーティストであれば本当に心から嬉しく思います。

(LINA)

最終更新:9/15(木) 7:18

ITmedia ビジネスオンライン

TEDカンファレンスのプレゼンテーション動画

北朝鮮からの脱出
北朝鮮での幼少時代、『ここは地球上最高の国』と信じていたイ・ヒョンソだったが、90年代の大飢饉に接してその考えに疑問を抱き始める。14歳で脱北、その後中国で素性を隠しながらの生活が始まる。 これは、必死で毎日を生き延びてきた彼女の悲惨な日々とその先に見えた希望の物語。そして、北朝鮮から遠く離れても、なお常に危険に脅かされ続ける同朋達への力強いメッセージが込められている。