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消える?闇市ルーツの“日本一長い高架下商店街”モトコー 耐震工事で存続危機

産経新聞 9月15日(木)14時55分配信

 戦後の闇市がルーツとされ、「日本一長い高架下商店街」といわれる神戸市中央区の元町高架通商店街(通称「モトコー」)が存続の危機にひんしている。JR元町-神戸間で約1・2キロ続く商店街の土地を所有するJR西日本が昨年末、高架橋の耐震補強工事を理由に店舗の一斉撤去を求め、平成30年3月までにすべての借地契約を打ち切るというのだ。店主らは反発しているが、モトコーはこのまま消滅してしまうのか。(益田暢子)

 ◆戦後混乱期に誕生

 ブラウン管テレビ、ワープロ専用機、歌謡曲のレコード…。モトコーに一歩足を踏み入れると、“昭和”にタイムスリップしたような気分になる。1~7番街の7区画に分かれ、店内を3歩歩けば壁に当たる奥行きの狭さ。幅約2メートルのレンガ敷きの通路の両脇には、古着店や骨董(こっとう)品店、飲食店など約300店が軒を連ねる。「コンバースの聖地」として知られる靴店など個性的な店も多い。

 歴史は先の大戦の終戦直後にさかのぼる。米軍の空襲で神戸の市街地は壊滅状態となったが、東西に走る国鉄の高架橋は焼け残り、その下に自然と人が集まるように。戦後、食料を売る人が増え、闇市が形成されたという。

 元町高架通商店街振興組合によると、当時は高架下の北側に店舗が並び、南側は通路として使われた。大半の店が不法占有だったため商店主らは組合を設立し昭和22年ごろ、国鉄(JR)と借地契約を結んだ。一方、南側の通路にも店が建ち始め、再び不法状態に。北側の商店や神戸市などが問題視し、南側の店舗も44年、市の仲介を経て土地を転借することになった。

 その後、造成やアーケード改装の工事が進み、現在のモトコーが誕生した。

 ◆突然の「一斉撤去」

 「一斉撤去」の衝撃がもたらされたのは昨年12月。組合理事長の岡保雄さん(68)によると、JR西の幹部から「高架橋の耐震補強工事のため契約満了期日で退去してほしい」と宣告されたという。

 商店街の北側は平成29年3月、南側は30年3月に借地契約の満了を迎える。商店主らは耐震工事には理解を示しつつ、「退去後の暮らしが見えず不安」「今後の詳しい説明もないまま契約更新をしないのは納得できない」と反発。有志がモトコー存続を求める署名活動を行い、市やJR西に説明会の開催を訴えた。

 JR西は今年7月下旬、商店主らを対象に非公開の説明会を開き、耐震補強や避難通路設置などの工事内容を明らかにした。工事後は飲食店や物販店など分野ごとに集約し、高架下を再整備する案も示した。しかし、工期や工事中の代替場所は言及されず、商店主からは「説明が不十分」と不満の声が漏れた。

 JR西は「全体説明会の開催はこれ以上、予定していない。今後は個別で対応していく」としている。

 7年に阪神大震災を経験しているだけに、昭和22年創業の輸入服飾店の2代目オーナーを務める岡さんも「耐震工事の重要さはよく分かる」と語る。「それでも70年育てて引き継いできたモトコーのブランドが消えてしまうのは悲しい」

 今では5~7番街はシャッター街と化し、商店主の高齢化も著しい。7番街でかばんや電化製品を販売する野原孝一さん(75)は「耐震工事後に再入店できたとしても、何年後になるかは分からへん。この年でもう一回、店を始めるのは難しい」と吐露した。

 ◆「話し合いの努力を」

 飲食店などが連なる高架下の光景は各地にあり、いわば日本の文化の一つだ。同様に存続危機を抱える場所も多く、モトコーの灯を守ろうと商店主らはJR西に説明を求めている。

 神戸の歴史に詳しい園田学園女子大の田辺眞人名誉教授(68)=歴史学=は「次の震災に備えて耐震補強工事を進めたいJR西と、戦後のムードを残したい商店主のどちらの言い分にも理がある。互いに譲れる範囲で譲り合い、話し合いを進める努力をしなければならない」と指摘する。

 その上で「今のモトコーの姿も歴史の中でつくられてきた。今後はJR西と商店主、市民らの手で未来のモトコーをつくっていくことが重要だ」と話した。

最終更新:9月15日(木)15時35分

産経新聞