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駆け出しの天才“侍”ヒッター 赤ヘルの系譜~2番打者編~

ベースボールキング 9/15(木) 8:00配信

赤ヘルの系譜 ~2番打者編~

 四半世紀ぶりに訪れた歓喜に、広島の街が真っ赤に燃えた。

 高く厚い壁を乗り越えた今だからこそ振り返りたい25年前の記憶...。あの時の広島と今の広島を比較していく企画の第2弾。今回は“2番打者”編。

後に“神”と崇められる男

 1991年の広島で2番を打っていたのは、あの前田智徳。広島ファンから熱狂的な人気を誇り、晩年は前田“神”として崇められた天才バッターである。

 当時は高卒2年目のハタチ。まだ駆け出しであったが、この年129試合に出場するなどレギュラーに定着した。当初は1番を任されていたが、シーズン途中から正田と入れ替わる形で2番に入ることが多くなった。

 この年の成績は打率.271、4本塁打、25打点とキャリアの中では目立った数字ではなかったものの、持ち前の打撃技術を存分に発揮。また守備ではゴールデングラブ賞にも輝いている。

 この翌年には130試合の出場で初の打率3割超えを果たすと、そこから3年連続で打率3割をクリア。3年連続のベストナインに4年連続のゴールデングラブ賞獲得と順調な歩みを見せたが、プロ6年目の1995年に選手生命を揺るがす大ケガを負う。

 「右アキレス腱の断裂」――。これを期に状況は一変。本人から「前田智徳という打者はもう死にました」という言葉が出てくるほど、野球人生に影響を及ぼすケガとなった。

 それでも、卓越した打撃技術が錆びつくことはなかった。1996年に復活して以降も、8度に渡って規定到達の打率3割をクリア。アクシデントを乗り越え、広島一筋24年のキャリアを駆け抜けた。

 晩年は寡黙な“求道者”という印象も強い前田であったが、引退後は解説者としてお茶目な一面も披露。テレビ朝日野球中継のTwitter(@tvasahibaseball)で不定期に行われる前田のつぶやき「マエッター」(※本人はなぜか「ささやき」と言う)は、ファンの間で大好評を博している。

 いつか、またカープのユニフォームを...。そう願うファンも多い。

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最終更新:9/15(木) 8:00

ベースボールキング