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大舞台に地元熱狂 「二転三転」も健闘称賛 上与那原選手4位

琉球新報 9/16(金) 5:00配信

 「よく頑張った」。リオパラリンピックの車いす陸上(T52)1500メートル。4位から銅メダル、そしてまた4位と二転三転した結果発表に一喜一憂する場面もあったが、出場した上与那原寛和さん(45)=沖縄市=を応援しようと15日夜、沖縄市内に集まった後援会メンバーは、同選手の健闘をたたえた。


 上与那原さんが2大会ぶりのメダルを懸けて挑んだ試合。レース直後の結果は4位だった。落ち込むメンバーだったが、銅メダル獲得に繰り上げられたと一報が入ると、「やったー」と歓喜の声が上がった。一転、再び4位と報告されると落胆の声とともに、「東京で頑張って」「不完全燃焼だ」と4年後に期待する声が上がった。

 競技開始前、映像が流れないトラブルが発生したが、メンバーは「エールをリオまで送ろう」と会場は熱気に包まれた。ようやく流れた映像も途切れ途切れ。メンバーは上与那原さんのレーサーがコースを駆け抜けた約4分間、懸命に声援を送り続けた。4位入賞が分かった後も、父親の寛忠さん(79)は応援の旗を振り続け、母親の米子さん(80)は手をたたき続けた。

 2008年の北京で陸上男子マラソン(車いすT52)に出場し銀メダルを獲得したが、12年のロンドンではまさかの失格。リオでの雪辱を誓った。15年の障がい者陸上の世界選手権でアジア記録を出すなど、力を磨き結果を残してきた。8年越しの思いが詰まった大舞台に、目頭を熱くするメンバーも。

 上与那原選手は28歳のときに交通事故で頸椎(けいつい)を痛め、両足が動かなくなった。32歳で県車いす陸上クラブタートルズの荻堂盛助さんと出会い、車いす陸上を始めた。「なせば成る」と幼いころから励まし続けた両親が応援する中、不屈の精神を見せ、世界トップレベルで活躍してきた。

 寛忠さんは「何をやっても頑張り屋だった。皆さんに応援していただいてありがたい」と感慨深そうな表情を浮かべた。「よく頑張った」。米子さんは諦めずに走り抜けた息子をたたえた。

琉球新報社

最終更新:9/16(金) 10:56

琉球新報