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CESA設立時のエピソードから、今後の課題まで――CESAのキーマンが過去と未来を語った20周年記念講演をリポート【TGS 2016】

ファミ通.com 9/16(金) 7:01配信

文・取材:編集部 ロマンシング★嵯峨、撮影:カメラマン 永山亘

●ゲーム業界の変化とともに歩んできたCESAの取り組みとは
 2016年9月15日(木)から9月18日(日)まで、千葉・幕張メッセにて開催中の東京ゲームショウ 2016(15日・16日はビジネスデイ)。本記事では、開催初日に会場内イベントホールにて行われた講演“未来へ引き継ぐCESA設立の思い ~CESA 20年の歩みと将来~”をリポートする。

 CESA(一般社団法人コンピュータエンターテインメント協会)が1996年に社団法人認定されてから、20年。この講演は、ゲーム業界の発展とともに歩んできたCESAの軌跡をたどっていくというもので、CESAの現会長であるセガホールディングスの岡村秀樹氏、理事を務めるカプコンの辻本春弘氏のほか、CESA設立に携わったカプコンの辻本憲三氏、コーエーテクモホールディングスの襟川恵子氏が参加した。また、SMBC日興証券 株式調査部 エンタテインメント・メディアチーム シニアアナリスト 前田栄二氏も参加。なお、モデレーターは、カドカワの浜村弘一取締役が担当した。

・講演参加者
カプコン 代表取締役会長CEO 辻本憲三氏
コーエーテクモホールディングス 代表取締役会長 襟川恵子氏
セガホールディングス 代表取締役社長COO 岡村秀樹氏
カプコン 代表取締役社長COO 辻本春弘氏
SMBC日興証券 株式調査部 エンタテインメント・メディアチーム シニアアナリスト 前田栄二氏
※辻本憲三氏、辻本春弘氏の“辻”の字は、1点しんにょうです。

 今回の講演は、コンピュータエンターテインメント協会が設立される少し前、1993年~1994年ごろのゲーム業界の振り返りから始まった。1993年は、スーパーファミコンが絶頂期を迎えた年。その翌年となる1994年は、新しいプラットフォームに移り変わる端境期だった。


 プラットフォームの移行は、3Dグラフィックへの移行でもあった。3Dポリゴンで表現されたセガのアーケードゲーム『バーチャファイター』(1993年)は大ヒットを記録したが、その技術をコンシューマーゲーム機においても使用することを意識したという。
 この移行について、“カプコンは出遅れた”と辻本春弘氏は述べ、ヒット作『バイオハザード』(1996年)を出すまでに時間がかかったと振り返った。

 岡村氏は、この時代について、ふたつの動きがあったと語る。ひとつは、従来のゲーム機メーカーが新しい技術を投入し、新しいプラットフォームを作ったという動き。もうひとつは、これまでゲームハードを作っていなかった異業種(家電メーカーなど)が、ゲーム機に参入するという動きだ。これは、“技術の進化に比例して、エンターテインメントにも影響がある”という、いま起こっている状況の萌芽だった。そして、玩具の延長と思われていたゲーム機が、家庭の中のエンターテインメントマシンに脱皮していった時代でもある、と岡村氏。

 辻本春弘氏は別の観点から、当時を語る。カートリッジからCD-ROMに変わったことで、原価が下がり、再生産もしやすくなった。ビジネスの収益構造が改善されたのだ(そして、それにより技術に投資することもできる)。これは非常に大きかった、と辻本春弘氏。

 こうして、ゲーム業界が伸びていくにつれ、世間からの注目も集まっていった。それは喜ばしいことではあったが、グラフィックが進化したがゆえに、その表現に問題があるのでは、と批判的な目を向けられる機会も増えてしまう。そんな中で、そういった問題に対処するため、また続々と増えるソフトメーカーを取りまとめるための組織が必要なのではないかという機運が高まり、CESA設立へとつながった。

 CESA設立メンバーである辻本憲三氏は、アーケードゲームについては日本アミューズメントマシン協会(JAMMA)、PCゲームについては日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(CSAJ)があるのに、コンシューマーゲームには協会がないのは問題だとし、CESA設立にいたったと振り返る。

 同じく設立メンバ―である襟川恵子氏は、CSAJの設立にも携わっているが、CSAJはゲームソフトとビジネスソフトの企業による団体であり、ゲーム業界だけの団体ではなかったため、ゲーム業界だけの協会を作るのはいいアイデアだと考えたという。

 そうして、コンピュータエンターテインメント協会が1995年に設立され、1996年に社団法人化。また1996年には、コンシューマーゲームをアピールするための場として、東京ゲームショウが立ち上げられた。

 元来、新商品はバイヤーに先に紹介するものであったが、東京ゲームショウはバイヤーだけでなく一般ユーザーも来場できるようにした。このことは、今日まで東京ゲームショウが発展してきたことに大きく影響している、と辻本憲三氏。


 しかし東京ゲームショウは順風満帆に進んだというわけではなく、収益面で課題があった。1998年、「業界が発展するために財政的な基盤がなければならない」と、イベント委員会会長として襟川氏が改革に乗り出す。襟川氏は、コスト削減、入場料の見直し、広告料金の設定など行い、なんとか目標を達成した、と当時のエピソードを交えて語った。


 CESAが取り組んだのは、東京ゲームショウだけではない。2002年にCESAの会長に就任した辻本憲三氏が取り組んだのは、レーティング(CERO)の設定だった。
 また、著作権・海賊版対策にも力を入れた。コンピュータソフトウェア著作権協会の理事でもある襟川氏も、海賊版の店を摘発するなど手を尽くした。いま、日本のゲーム業界の著作権に関する取り組みは海外からも評価されているという。

 その後も、CESAはさまざまな問題に取り組んでいった。ソーシャルゲーム協会(JASGA)とCESAの合併、CEDEC(コンピューターエンターテイメントデベロッパーズカンファレンス)の発展・地方開催、CESA白書の充実、ランダム型アイテム提供方式運営ガイドライン……いわゆるガチャのガイドラインの作成だ。


 新しいテクノロジーが生まれ、新しい遊びが普及することは、新しい課題が出てくるということだ、と岡村氏。上記の取り組みも、その対処の一例であるという。

 今後の課題について、辻本春弘氏は、CESAは一企業ができないことをやっていくべきであり、いまやるべきことは“人材の育成”であると語る。業界に入った人の育成はCEDECで行っているが、業界に入ろうと考える学生の育成については不十分であり、産・学とともに取り組んでいかなければいけない、とコメントした。

 襟川氏は、ゲームソフトは絵、映像、音楽、プログラムなどから構成される複合芸術であるが、それをもっと世界に発信するには日本は力不足だ、と今後CESAが取り組むべき課題を提示。日本のプログラミング教育、3DCG教育は遅れているため、国ともっと連携し、教育に力を入れていくべき、またゲーム業界にあった働きかたを示していくべきと語った。

 辻本憲三氏は、今後より一層人々は、知的価値のあるものに時間とお金を使っていくようになる――そして、ゲーム業界は知的価値の高さを追求していけると語る。マーケットは小さくなることはなく、大きくなるが、形が変化していくので、それについていけるかが大事。そして東京ゲームショウは、その価値を人々に見てもらうためのマーケティングの場であり、力を入れて取り組んでほしいと述べた。

 時代は変わり続け、CESAの課題も変わり続ける。そのとき、柔軟に、かつ貪欲に取り込んで活動していくことが大事だ、と岡村氏。今後、マンガやアニメといった業界や行政との連携、アジア進出のための環境整備などに取り組み、ゲーム業界の発展のためにがんばっていきたい――それが加盟各社と、何よりゲームを愛するユーザーのためになると熱く語り、講演を締めくくった。

最終更新:9/16(金) 7:01

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